■プロボクサーなどで、たまに「放っておくと遊んでしまうから、無理やり試合をさせる」という形で育てられる人がいますね。
マイク・タイソンなどがその例です。才能があるのに、今一つ真面目になれないボクサーに有効です。
ボクシングは才能が大きなウェイトを占めますから、そういう育成方法もありなんですな。
嘘か本当か、世界チャンピオンになるまでろくに練習しなかったといわれる天才ボクサーがいるらしいですから。
真面目な日本人からすれば、とんでもない話ですね。
■ただこの記事の話は全く別です。川内という非エリートランナーが、独自の練習方法で、エリートを脅かすまでになったという事例です。
普通に考えれば、これは多様性の話です。
かつて多くの優秀なランナーを育てた実業団方式が正しいとしても、実はそれに馴染まない才能もあるわけです。
今まで、そうした少数の才能を殺していたのではないか。
才能には多様性があるはずなので、柔軟な対応が必要になります。
だが大きくなった組織は融通が利きません。集団内のメジャーのために、マイナーは殺されてしまいます。
最大多数の最大幸福という理念からして、それは仕方ない。
(もっとも、本当に実業団方式がメジャーに適した方法なのか?という疑問は残ります。世界で全く通用しない現在なので)
だが、川内自身は、メジャーから漏れた状況でも殺されず、自分の個性を伸ばすやり方を見つけて実行したわけです。
■これは川内に類稀なマネジメント力が備わっていたからであって、特殊な一例です。
彼は自分の力で、殺されることを拒否できたわけです。
しかし、皆に「自分の個性にあった練習をしよう」といっても、できるものではありません。
やはり指導者側に、多様性を勘案して指導するマニュアルがなければなりません。
そうじゃないと、実はバカにならない数のマイナーな才能を消してしまっている可能性があるわけです。
■私もコンサルタントや講師をやっているものですから、こういう話は他人事ではありません。
まずは多数を動かさないと組織は変わりません。どうしてもメジャーな層を中心に仕組みを作っていきます。
ただその中で、実は多くの異能者を殺していたのではないか。
これはシリアスな問題ですよ。
■一人一人の個性に配慮した指導をすることが教える側の良心です。
しかし、集団全体の利益のためには、どこかで見切りをつけて、切り捨てなければならない場面も出てきます。
なるべく個人に配慮する気持ちを忘れないでおこう。切り捨てる場合も、その人を殺しているのだという自覚を持とう。それが指導者の務めだ。
今は、この程度しか言えません。もどかしいですけど。
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