ドン・キホーテ 闘魂経営
安田 隆夫
徳間書店
2005-08-31


この本、むちゃくちゃ面白いです。

ドン・キホーテの創業者 安田隆夫氏の半生記と考え方を書いた本です。

日本の小売業の中でも異色の存在であり続けるドン・キホーテがどのようにできてきたのかがよくわかります。

異色の創業経営者 安田隆夫氏


安田隆夫氏は、1949年岐阜県大垣市生まれ。教育者の父を持つ厳格な家庭に育ちました。

ところが安田氏自身は勉強嫌いのやんちゃに育ちます。子供のころからガキ大将で喧嘩に負けたことがなかったとか。

もっとも高校2年で一念発起して勉学に励み、慶應大学法学部に入学したというのだから、基礎的な能力は相当のものがあったのでしょう。今なら「ビリガキ」なんて本が出せそうです。

大学にいっても馴染めず、ボクシングに打ち込み、プロデビューを目指すも、視力が弱く断念。

大学卒業後、不動産会社に就職するも、1年で倒産。いらいその日暮らしのような生活を送ります。

さすがにこれではいかんとバッタ品を仕入れて売る店「泥棒市場」を開店したのが29歳の時。

この店が、のちのドン・キホーテにつながっていきます。

成功法則なんて、後付けの理屈だ


安田氏の方針はひたすら実践し、顧客の様子を見ながら修正していくというもの。

成功法則なんて「勝利者の後付けの理屈だ」と切り捨て、成功に必要なのは、困難な時にもがき苦しんで紆余曲折しながらも最後に這い上がる「はらわた」だ。と断言しています。


その信念の通り、泥棒市場は、顧客の反応によって商品を変え、陳列方法を変え、仕入れ先を変え、営業時間を変え、繁盛店になっていきます。

安田氏は、泥棒市場の仕入れ経験をもとにバッタ屋(卸売業)を開業し、こちらでも大きく成功します。

ドン・キホーテ1号店を東京府中市に開店したのは40歳の時でした。

4年間の紆余曲折が、その後の成長につながった


そのドン・キホーテは、現在、日本の小売業の常識を覆す存在として存在感を放っています。

ところが、1号店は順風満帆とはいかなかったらしい。少なくとも4年間は売上が伸びずに、もうやめようと何度も思ったほどだったようです。

それでも安田氏は流通のプロを雇おうとはせず、自分で試行錯誤を続けました。その苦しみが、常識外れの経営手法を生み出したのだと、安田氏も自負しています。

特に、ドンキの代名詞ともなっている圧縮陳列は、安田氏が泥棒市場で生み出したものです。

ところが、そのキラーコンテンツが、ドンキでは再現できない。いや、安田氏が陳列すればできるのですが、他の従業員にやらせると単に雑な陳列になってしまう。

何度教えてもできない従業員に安田氏も困り果てたのですが、最終的には「もう知らん。勝手にやれ!」と突き放すと、自分たちで工夫しながら見事な圧縮陳列をやっていったとのこと。

これが、売り場ごと担当者に仕入れも陳列も販売も任せるというドン・キホーテ独特の「権限移譲」の始まりだったというのです。

あまりにも話が出来過ぎているのは、面白く伝えたいという安田氏のサービス精神のさせる技でしょうか。

それはともかく、安田氏が引退した今となっても、オレ流を貫いて、新たな小売業の常識を作った経営哲学は、大いに参考になるのではないでしょうか。







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