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上の記事は、文学界の内情を題材にした映画(原作は漫画)をネタに、文学界の現状について書いたものです。

漫画や映画のネタになるのだから、文学界も捨てたものじゃありませんな。と言いたいところですが、今や、世の中のあらゆる事象や業界がネタになっていますね。珍しいことではないか。

売れそうな作家を推したい文芸誌各社


さて文学には、各文芸誌が主催する新人賞というものが存在し、そのゲートを潜り抜けた実力のある人が作家としてデビューする仕組みです。

新人賞の審査員には、実績のある作家がなることが多く、その審査が真っ当なものであることを担保しています。

ところが実際には新人賞を経ずにデビューする人も多くいます。

いわゆる持ち込み企画組や、文芸誌側の招聘組などです。

持ち込み企画組はともかくとして、文芸誌側が招聘するのは、芸能人やタレントなど、すでにファンを持っている有名人です。そのような人が書いた小説は、ある程度売れることが見込まれるからです。

だから、そこそこ文章が書ける有名人が、文芸誌で小説デビューする例が相次いでいます。

しかも有名人が書いた小説が、権威ある文学賞をとれば「売れる」ことを、芥川賞を受賞した又吉直樹の「火花」が実証しました。

いや「売れた」というレベルではありません。年間トップの売れ行きを示したとのことですから、凄まじい。爆売れですよ。

だから各文芸誌は、金鉱脈を掘り当てようと、こぞって有名人を小説家デビューさせようとしており、この流れは、今後も続くものを思われます。

いまのところ芥川賞や直木賞が、文芸誌側の思惑を忖度して、安易に芸能人作家に受賞させる、ということはないようです。それをすれば、文学の権威そのものが失墜してしまいますからね。

ただ、売れそうな作家を推しまくる文芸誌各社の動きは、いくぶん滑稽に思えてきますな。

文学の権威は、市場性とリンクしていない


もっとも、文芸誌各社がプロレス的な動きをしなければならない背景にあるのは、文芸誌や文芸書が売れないという現実です。

芥川賞を受賞した作家でも、受賞作以外はなかなか売れないので、そのうち単行本を出させてもらえなくなり、廃業せざるを得ないという事情がいっぱいあるらしい。

つまり、従来の文学界の権威から認められた作家に市場性はないという事実です。作家を生み出してきた文学賞というゲートが、時代遅れになり、機能不全に陥っているといわれても仕方ありません。

ところが、文学そのものはいまだ権威と認められているのだから厄介です。社会的にみて、芥川賞作家といえば、それなりに認められる存在ですが、残念ながらいまやその権威は、市場性とは乖離しています。

市場から求められていないのに、権威として認められるというのは、どういうことか。誰も知らないのに、なんだか偉い人だと思われてる。って、美術室に置いてあった謎の石膏像みたいなものですよ。

文芸というジャンルは、伝統芸能化していく


文芸誌が低迷しているのは、それが一般の人には面白くないと認識されているからです。芸能人が書いた小説も、珍しいうちはまだいいものの、そのうち飽きられます。

面白い。少なくとも面白くなる可能性を見いだせないと、若い才能が集まってきませんし、売上低迷していれば収入にもなりません。面白くない。収入が伸びない。才能が集まらない。面白くならない。という悪循環ですよ。

これはもう、文芸というジャンルは、伝統芸能への道を進んでいるのだと私には思えます。面白さがわかる一部のコアなファンに支えられながら、実際には補助金がなければ存続できないジャンルになっていくのでしょう。

物語そのものは廃れない


文学界も「本屋大賞」など権威に頼らない賞を作ったり、ネット小説経由の売れる作家を発掘したりして、ジャンルの再興を図っています。

こうした動きは評価できると思いますし、文学界を救う人材が現れるとすれば、こうした従来の権威から離れたところからでしょうね。

「物語」そのものは廃れるものではありません。活字か、音声か、実写か、アニメかはわかりませんが、物語は繰り返し消費されていきます。

だから物語を紡ぐ機能を持つ小説というジャンルも、必要とされるはずです。

混沌の中から、驚くような才能が現れることを願っております。





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