孔子の教えは
(2020年7月9日メルマガより)


われわれ日本人が最も大きな影響を受けた書物は、といわれれば、疑いなく「論語」をあげます。

次の1万円札の顔である日本近代経済の父といわれる渋沢栄一公も、「論語」の熱心な読者でした。

明治政府の重要役人だった渋沢栄一は、産業振興を志し事業家として独立しますが、同僚から「卑しくも金儲けに目が眩んだのか」と侮蔑されたそうです。

しかし、渋沢は「論語には、金儲けは卑しいなどと一言も書いていない」と反論しています。

つまり渋沢にとって「論語」に書いてあることが規範になっていました。

いや、渋沢栄一が特別だったわけではありません。

子供の頃に「論語」を素読することは、江戸時代から明治期にかけて、教育のスタンダードでした。

だから論語の思想は、われわれ日本人の血肉になっていると言ってもいいでしょう。


いまでも、京セラの稲盛和夫さんのような人は、「論語」の忠実な実践者であると思えます。

例えば、次の言葉を聞くと、納得できますし、素直に感動します。

「嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人に親切にせよ。子供のころ、親や先生から教わった人間として守るべき当然のルール。そうした『当たり前』の規範に従って経営も行っていけばいい」

この「子供のころ、親や先生から教わった人間として守るべき当然のルール」という部分。われわれ日本人にとって、これは「論語」の教えるところにほかなりません。


人々が幸せに過ごすにはどうすればよいのか


「論語」は、いまから約2500年前に生きた中国の思想家、孔子の言行録です。

当時の中国は、大国、周が弱体化し、諸侯が勢力争いを繰り返す戦国時代でした。

古い価値観が崩れたため、諸子百家といわれる新しい思想家たちが多く活躍した時代でもあります。

その中でも、孔子が始祖となった儒家は、中国を席捲するほどの一大勢力となっていきました。


もっとも孔子は、それほどの大望を持っていたわけではありません。

貧しい庶民として生まれ育った孔子は、世事に長け、雑事を器用にこなす一般的な青年でした。

ところが、頭がよく文字が読めた孔青年は、古典を読んで、中国にも安定した幸せな時代があったことを知ります。

人々が心を安寧にし、幸せに過ごすためにはどうすればいいのだろうか?

孔青年は、乱れた世ゆえ、殺伐とした人々の気持ちを落ち着かせなければならないと考えました。

そこで、戦国の世に忘れ去られてしまった「礼」を復活することで、社会を安定させようとしたのです。


「礼」が人々に安定をもたらした


現代で「礼」というと、礼儀やマナーを思い浮かべますが、ここでの概念はもっと広く、しきたり、規範、ルールをも含んだ意味でとらえてください。

つまり、安定した時代の規範やルールを礼儀作法も含めて復活させようとしたのです。

この考え方は、当時の人々に新鮮に受け取られたようです。

なにしろ、戦国の世は乱れ、価値観も安定せず、何を拠り所にすればいいのかわからない時代です。

伝統に則った規範や作法は、人々の気持ちを落ち着かせたはずです。

さらに言えば、かつての王朝のしきたりや作法を忠実に再現することは、一種の正当性をも演出するものだったでしょう。

とくに武力で覇を成した者にとって、喉から手が出るほど欲しいのが正当性です。

いきおい孔子の名は聞こえるようになり、国の政治を任せようという諸侯も現れたほどでした。


形式的な「礼」など価値はない


もっとも、政治家としての孔子は大成しませんでした。

諸侯は、孔子の能力に頼もうとしたのではなく、孔子の名声を利用したいだけだったからです。

孔子のもとには、多くの弟子が集まりましたが、彼らも心から孔子の思想に共鳴した者ばかりではありません。

中には、手っ取り早く「礼」を学んで、有利な就職口を探したいという小利口な者もいたようです。

就職することを孔子が否定していたわけではありません。有望な士官の口を得た高弟をほめたりもしています。

しかし、孔子の本当の教えを学ぼうとしない者が多いのは、嘆かわしいことでした。


当然のことながら、昔ながらの礼儀作法やルールを守ったからといって、世の中がよくなるわけではありません。

大切なのは、なぜ、そのルールを守るのか、なぜその作法をするのか、という中身です。

人々が、その規範の意味を理解し、社会をよりよくする行動を自覚するから、よい方向へ機能するのです。

わけも分からずに、機械的に守るルールなど、孔子は否定しています。

孔子の学問とは、その規範やルールの意味をも学び理解することでした。


遠回りすぎて現実離れしている?


弟子の子路が「乱れた国を正すにはどうすればよいのか」と尋ねたのに答えて、孔子は「必ずや名を正さん」(名を正すほかはない)と言っています。

名を正すとは、形式(名前)と中身を一致させる、という意味です。

つまり、人々がバラバラに考えていることを統一させることと言っていいでしょう。

ある人は、その規範を家族間のルールととらえているかも知れませんが、別の人は村全体が共有すべきものだと考えているかも知れません。

ある人は、その行為が価値あることと思っているかも知れませんが、別の人は無駄な行為だと迷惑に思っているかも知れません。

ある人は集団のリーダーは自分だと考えているかも知れませんが、他の人は全く認めていないかも知れません。

そんな細かい行き違いがあれば、政治も法令もまとまりがなくなり、社会は安定しません。

まずは、それを正すことが先決だ、と孔子は言ったのです。

ところが弟子の子路は「まだるっこしい」(意訳)などと口走ってしまいます。

たしかに、孔子の言うのは正論だが、遠回りすぎて現実離れしているという意味でしょう。子路は、弟子の中でも、ずけずけ言うことで知られていますが、このくだりはなかなか辛辣で面白い。

さすがに孔子は「ばかもん。わからんことは黙っておれ!」(意訳)とやり返していますが、子路の指摘は一面の真実をついていると思います。


法治主義と徳治主義の併用


孔子の思想の弱点の一つは、効果を発揮するまでに時間がかかることです。

さきほど、礼は形式だけではなく、その意味が大切だと言いました。

しかし孔子なきあとの儒家たちは、いたずらに儀礼ばかりさせる面倒くさい集団だととらえられるようになっていきました。

孔子が望んで止まなかった平和(戦国時代の終わり)をもたらした秦の始皇帝は、孔子の思想ではなく、法による国家運営を説いた韓非子の思想を採用しました。

法による支配は、抜け道を探す卑しい連中があふれ出し、国家を危うくさせると説いた孔子の批判にも関わらず、大帝国秦は、ゴリゴリの法治主義国家となっていきます。

ところが、始皇帝なき後の秦は、一代で滅んでしまいます。

つけ刃的な法治主義が機能せず、孔子のいう通り「法の抜け道を探す卑しい連中」があふれたからでもありました。

そこで新たな国家の運営者は、あくまで法による支配を基盤としながらも、人々が卑しくならないためには、孔子の思想が必要だと判断しました。

孔子の考えを国家思想として採用したのが、漢です。

孔子の教えは、確かにまだるっこいかも知れませんが、時間をかけて浸透させれば、人々が自分でよりよい行いを考え、実践するようになります。

なにより孔子のいう「善いこと」とは、難しいことではありません。

「嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人に親切にせよ」というのは、特別な思想でもなんでもなく、本来の人間の善性に根差したものです。

いうなれば孔子は、生来の善性を高め、悪性を抑えよ、と言っているだけです。

実に簡単なことではないですか。

その簡単なことを、国家として奨励した漢は、約400年にわたって安定した国家を続けることになりました。

漢の後の国家も、法治主義と徳治主義の併用をスタンダードとすることを続けたため、その影響は中国のみならず、アジア全域に及びます。

もちろん中国に学んだ日本にも、その影響は及びます。

いやむしろ、文化大革命なるもので過去を否定した中国よりも、日本でこそ孔子の教えは根付いているといえるでしょう。


仁 義 礼 智 信


少し戻ります。

孔子は、「礼」は内面の善性と結びつかなければならないと考えました。

相手を思いやる気持ち、うそ偽りない気持ちが形になって表れたのが「礼」です。

しきたりや規範、ルールなども、すべて、よりよい社会を形作り、人々が幸せになるためにあるものでなければなりません。

だから、孔子は、まずは個人個人が自分に向き合い、よりよりことは何かを考え、実践することが大切だと考えました。

孔子がいう、人がその善性を突き詰めたところにあるものが「仁」です。

その仁とともにある秩序や道理が「義」です。

仁を形としてあらわしたものが「礼」です。

仁や義や礼を判断するもととなるのが「智」です。

仁をもととした人との向き合う基本が「信」です。

こうした善性を身につけた人のことを「徳」のある人といいます。


まあ、言ってしまいますが、孔子の思想の弱点のもう一つは、抽象的でわかりにくいことですな。

西洋哲学のような、明確な論理性があるわけでもありません。

孔子の弟子たちも「論語」の中で、「仁とは何ですか?」と繰り返し尋ねていますが、そのたびごとに孔子の回答が違うので、難解です。

孔子自身、あまりわかっていないのではないかという説もあるほどです。


一度、身につければ忘れない


もっとも孔子は、理屈としてわかることをあまり良しとせず、日々の実践を通じて身につけさせようとしていました。

先ほどの子路のような、いつも実践して身につけようとする弟子をことのほかかわいがっていました。

だから孔子の教えは決して大所高所からのものではなく、日常に根差した馴染みやすいものばかりです。

理解するのに時間がかかるというのは、一度身につけたら忘れにくいということでもあります。

「論語」の素読を繰り返したわが先祖たちから何代にもわたって常識だと教え伝えられてきたことですから、それがわれわれの心の基盤になっていても不思議ではありません。

われわれがいま「論語」を読んで感じる納得感や既知感は、それが既にわれわれの心性に根付いているという証左ではないでしょうか。


ただし、これを人に伝えようとすれば、なかなかに難関です。

わかりやすく伝えるためには、理屈か、事例か、ストーリーとしてまとめなければなりません。

このテーマは次回に持ち越したいと思います。

孔子のいう「仁」とはなにか?

「徳」のある人とは、どのような人か?

どのようにすれば「徳」のある人になれるのか?

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