井上尚弥が真のスターに

(2021年6月24日メルマガより)

日本ボクシング史上最高傑作と称される井上尚弥が、6月19日(日本時間20日)、ラスベガスの会場において、WBA、IBF世界バンタム級タイトルマッチを行いました。

今回は、IBFの指名試合でもありました。


指名試合とは


ちなみに、WBA、IBFというのは、プロボクサーの認定団体のことです。世界には、チャンピオンを認定する団体が数多くあり、それこそ、認定料稼ぎに、町の強者レベルの人をチャンピオンだと認めているところもあります。世界チャンピオンとは名ばかりのローカルチャンピオンですな。

それでは収拾がつかなくなるというので、JBC(日本ボクシングコミッション)は、WBA、WBC、WBO、IBFの4団体のみを正式に認めています。

基本、日本のプロボクサーはJBCに属していますので、日本で世界チャンピオンと認められるのは、その4団体が認定したチャンピオンのみとなります。

指名試合というのは、認定団体が挑戦者を指名する試合のことです。

プロボクサーは、世界チャンピオンになると人気も出て、稼げるようになります。だからなるべく、チャンピオンの地位に止まりたいと、勝てそうな相手ばかり選んで試合をするような人もいます。

日本でもいましたね。どこの誰だか聞いたこともないような挑戦者を連れてきて、いかにも強敵だと煽って試合をするチャンピオンが。ただ、プロモーターやテレビ局や、チャンピオンとしての試合を続けてほしいという大人たちの意向によるものです。ボクサー自身がチキンなわけではないのでお間違えなく。

それでは本当の強者が試合を避けられてしまいます。強い選手にチャンスを与えなければならないので、認定団体は指名試合制度を儲けています。団体によってその条件は違いますが、必ずあります。

指名試合では、相手を選べませんから、ひとつの節目となります。実際、指名試合で、王座交代が行われることが多い。世界チャンピオンにとっての鬼門だといっていいでしょう。


井上尚弥の底知れぬ強さ


ところが、井上尚弥にとって、指名試合は、鬼門でもなんでもありませんでした。

今回の相手は、フィリピンのマイケル・ダスマリナス。33戦30勝2敗1分、20KOの堂々たる成績です。KO負けはなし。ここ7年は負けていません。しかも長身のサウスポーで、一般に戦いにくいといわれるタイプです。

ところが、ダスマリナスは、かつて井上尚弥の弟拓真のスパーリングパートナーも務めたことのある選手で、いかにも格下感があります。

試合前のオッズでも、おおむね10倍以上と賭けが成立しないレベルでした。

試合になると、挑戦者が気合十分だったのは、2分過ぎまで。ジャブにカウンターの左フックを合わせられると、とたんに腰砕けになり、防御するだけになってしまいました。

前回のジェイソン・マロニー戦でもそうでしたが、井上尚弥は、ジャブにカウンターを合わせてきます。


ふつう、ジャブは、相手との距離をとり、次の攻撃につなげるためのパンチです。スピードが早く、防御しにくい。ジャブを制する者、世界を制すと言われるぐらいです。ところが、そのジャブにカウンターを合わせられたのでは、組み立ても何もあったものじゃない。

前回のマロニーと同じく、いや、それ以上に、ダスマリナスは打つ手がなくなり、KOされないためだけに闘っているように思えました。

その亀のようになった相手を、3ラウンドであっさりKOしてしまうのだから、井上尚弥の実力が底知れぬものであることがうかがえるというものです。


アメリカでの注目度はイマイチ


期待通り。いや、期待以上の結果です。今回の出来をみると、前回のマロニー戦が、実は調子が悪かったということが理解できました。(実は減量調整に失敗し、足がつった状態で闘っていたそうです)

日本のみならず世界が「バンタム級で最高の戦士」「もはや敵はいない」「この男に天井はないのか」と称賛しています。

リングサイドで見ていた5階級制覇チャンピオンであり、最大のライバルと目されるノニト・ドネアは「さらに強くなっている」と驚いていました。

全くその通りでしょう。28歳という最も脂の乗り切ったときです。コロナ禍で試合数が少ないことが残念でなりません。


ただ、気になったのが、会場の空き具合です。ワクチン接種が進み、イベント開催が解禁されているラスベガスの会場のわりには、ガラガラといってもいい状況でした。

現役ボクサーでユーチューバーの細川バレンタインは「実際は、それほど注目された試合ではない。リングサイドも3万円程度」と明かしています。


プロモーターのボブ・アラムは「コロナが収まれば、日本で試合をしたい」と発言していました。

せっかく本場ラスベガスで試合をしながら、その発言は何なん?と思いましたが、そうなんですね。アメリカでは、まだ井上尚弥の注目度はイマイチです。

もし井上尚弥が東京ドームで試合をすれば、リングサイドは10万円を下回ることはないはずです。

「尚弥は、若い頃のパッキャオよりも上」と言い、売り込みに躍起のボブ・アラムも、いまは、日本マーケットで売るしかないと考えているのでしょう。

そういう意味では、世界の壁は厚い。PFP(パウンド・フォー・パウンド)トップ3の井上尚弥といえども、一足飛びにスターになれるわけではないようです。

※PFPとは、体重差がなかったとしたら誰が強いのかを推定したランキング。


規格外の超人 マニー・パッキャオ


なにしろ、バンタム級というのは、53.52キロです。日本人の感覚でも軽い体重です。

大きな人たちの殴り合いが好きな人には、軽い階級は注目に値しないのでしょう。

例外は、マニー・パッキャオです。

彼は、フライ級(50.8キロ)から体重を上げて、スーパー・ウェルター級(69.85キロ)まで実質10階級を制した規格外の超人です。

容姿がいまいちだったパッキャオは、そのキャリアの前半は、常にアンダードッグ(かませ犬)扱いでした。

アンダードッグとは、スター選手を売り出すための引き立て役です。売り出すためには、そこそこ強いが、結局は負ける相手を選ばなければなりません。

だから、アンダードッグ役は、常に無理なマッチメイクを強いられます。

ところがパッキャオは、負け役の癖に、スター選手をバッタバッタと倒しまくりました。

まるで、スターの運動会で、ジャニーズのアイドルをボコボコにする空気の読めないお笑い芸人のようです。

マルコ・アントニオ・バレラなんて、男前でめっぽう強い、スター性の塊のようなボクサーでしたが、パッキャオと闘ってしまったために、ボコボコにされてなお、忖度するレフェリーが試合を止めないのだから、悲惨でしたよ。(11ラウンドTKO、試合を止めるのが遅すぎるとレフェリーが批判された)

そうした試合を続けた末に、アメリカのボクシングファンもパッキャオの凄さに気づき、彼自身がスター選手となりました。

42歳の今でも現役で、1試合数十億円を稼ぐボクサーです。近い将来、フィリピンの大統領になるという噂まであります。


井上には、強いライバルが必要


そう考えると、井上尚弥に足りないのは、強いライバルとの激闘ストーリーです。井上でさえ危ないかもしれない、負けるかもしれないと思わせるライバルが必要です。

正直にいって、バンタム級に井上尚弥が負けそうな相手はいません。5階級制覇のノニト・ドネアでも、もう一度闘えば、井上の敵ではないでしょう。

ボクシング識者は、ギジェルモ・リゴンドーの名前を挙げています。確かに、超絶テクニシャンのリゴンドーとなら、わからない部分はあります。が、リゴンドーは、判定狙いのしょぼい試合をする人なので、勝っても負けてもストーリーになりません。プロモーターもスルーしようとしています。

井上尚弥は、4団体統一を目標に掲げています。4団体というのは、WBA、WBC、WBO、IBFのことです。井上は、WBAとIBFのチャンピオンなので、あと2つ。ノニト・ドネア(WBC王者)とジョンリル・カシメロ(WBO王者)が、8月に試合をする予定なので、その勝者と闘えば、達成できます。

これは、年内にでも達成していただいて、来年からは、世界タイトルにこだわらず、もっと強い相手、井上が負けるかもしれないと思わせる相手を試合をすべきです。

世界タイトルにこだわらないのは、強いボクサーの特権です。マニー・パッキャオも、フロイド・メイウェザーも、タイトルは無視して、話題になる相手を選んでいました。現在、PFP1位のサウル・アルバレスも同じです。

PFPトップ3の実力を持つ井上ならば、それが許されます。

このあたり、プロモーターのボブ・アラムは得意ははず。なにしろ、マニー・パッキャオに、強敵をぶつけまくったのは、彼です。

あの時ぐらいの理不尽な試練を井上に課してもいいのではないでしょうか。

パッキャオなんて、7敗もしています。それでもスターの地位は揺るぎません。それだけ厳しい試合をしてきたということですからね。

思えば、パッキャオが、真のスターとなったのは、ライト級(61.23キロ)からいきなり2階級上げたウェルター級(66.68キロ)契約で、ミドル級(72.57キロ)も制した6階級制覇王者のオスカー・デラホーヤと闘ってからでした。

「無謀なマッチメイク」「金に目がくらんだ両者」と批判された試合でしたが、驚くべきことに、一回り小さなパッキャオが、大きなデラ・ホーヤを滅多撃ちにして、8ラウンドTKOに葬りました。パッキャオの神話的なキャリアは、あの時、第二ステージに突入したのです。

これを井上に当てはめると、2階級上はフェザー級(57.15キロ)です。エマヌエル・ナバレッテか、レオ・サンタ・クルスか。メキシコのスター選手を撃破すると、世界的知名度は爆上がりするはずです。それぐらい思い切ったマッチメイクをすると、井上の人気も爆発するのかもしれません。


とはいいましたが、本音では、パッキャオの真似をする必要なんてないと思っています。

井上は井上。着実なキャリアを築いて、アジアのボクシングマーケットを沸騰させるメインキャラクターになってほしいと考えています。



もうひとつのビッグマッチ


今月はもう一つ、日本人にとって大きな試合があります。

6月26日(日本時間27日)ラスベガスで、ワシル・ロマチェンコと中谷正義のライト級(61.23キロ)ノンタイトル戦が行われます。

ワシル・ロマチェンコは、オリンピックで2大会連続金メダル、プロ転向後3戦目で世界チャンピオンになった天才ボクサーです。

フェザー級、スーパーフェザー級で盤石の強さを誇りました。何しろ、パンチを当てるふりしかしないのに、あまりにもレベルが違うことを悟った相手が諦めて試合放棄してしまうことが続いたのです。

そのスタイルから「近代ボクシングの完成形」ともいわれています。

ただし、ライト級に転向してからは、チャンピオンにはなりましたが、体格の違いに苦慮することが多くなり、以前ほどの絶対性はなくなりました。昨年10月には、新鋭のテオフィモ・ロペスとの4団体認定タイトルマッチに僅差の判定ながら敗れてしまいました。

今回のノンタイトル戦は、ロマチェンコの復帰戦です。中谷を相手に選んだのは、ロマチェンコ自身だったといわれています。


中谷正義は、2019年7月、テオフィモ・ロペスと闘い判定で敗れています。が、試合内容そのものは競っており、どちらに転んでもおかしくないラウンドが多くありました。

その後、2020年12月、実力的にはロペスよりも上だと言われていたフェリックス・ベルデホと闘い、ダウン応酬の末、9回TKOに退けました。

二人のスター候補者と激闘を繰り広げたことで、アメリカにおける中谷の価値は上昇しているところでした。

そこで今回のロマチェンコによる指名です。

もちろんアンダードッグの役割ですが、古今のスターたちは、こういうチャンスを逃さなかった人たちです。

予測は、うーん、さすがに厳しいかもしれません。ロマチェンコも充分にいけると思ったから指名したのでしょう。

しかし、中谷の変則的な動きが、ロマチェンコのハイテクを狂わせる可能性だってあります。

いずれにしろ、日本人史上最大のビッグマッチであり、立場としては、井上以上のスター選手になれる位置にいるのです。

私は正座してWOWOWのライブを観たいと思っています。

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