(2014年1月9日メルマガより)


■私が生まれたのは、1964年。


前の東京オリンピックの年です。

この年は、東海道新幹線が開通した年でもあります。

高度成長期の真っただ中。

まさに日本にとってのゴールデンチャイルドですよ^^

ちなみに、6歳の時(1970年)には大阪万博も経験しています。

21歳の時(1985年)には、プラザ合意があり、それから日本はバブル景気に湧き立ちます。

就職から社会人の初期には、その恩恵をモロに受けました。

要するに、恵まれた世代です。

■生まれたのは大阪。それから小学校、中学校、高校から大学まで大阪です。

自分のことを典型的な大阪人であるとは思っていません。というか、大阪人の特徴が何であるかとか、東京に何が負けていないとか、そんなことに興味はありませんでした。

照れ隠しに東京でわざとキツイ大阪弁を使うとか、そういう気もありません。

そういうの、田舎者根性みたいで嫌ですしね。

それでも、就職して東京に住んだ時は違和感を覚えました。

とにかく東京というところは、空気の読めないやつを嫌う。何か、あちこちのグループで、見えないルールがあって、それに外れる者は、グループに入れてもらえないみたいな感じです。

その見えないルールを覚えることが最初の通過儀礼になるのですかね。

それがものすごく嫌でした^^;

なんだか、やしきたかじんとか、月亭八方とかが、東京に合わなくて、帰ってきたのがよく分かります。

■今、思うと、それは他の地域よりも相当ゆるいルールです。

なんでかというと、大阪にしろ、沖縄にしろ、本当の田舎は、よそ者を受け入れません。

あくまでお客さんとしての待遇ですから、どんなに通っても、最後のところではよそ者扱いです。

逆に、その地域で生まれた者は、えらい個性的な者でも大丈夫です。

それが私の田舎評です。

ところが東京は、雑多な田舎出身者の集まりですから、受け入れるのに、厳しいことは言ってられません。

一応、ゆるいルールがあって、それができれば、仲間にいれてやるよ、ぐらいのもの。

ルールといっても、相手に立ち入らないとか、訛りはカッコ悪いとか、本音をずけずけ言わないとか、上辺の付き合いは愛想よくとか、トレンディドラマ(死語)のシナリオにあるような類のものです。

そのゆるいルールを皆がそよそよと守って、いかにも首都圏っぽい共同体を作っている姿が何とも気持ち悪かった^^;

普通に過ごせよーーって。

■そういう時、初めて、自分の出自を気にしました。

ああ、おれは大阪なんだなーー。そういえば、阪神ファンだなーーって。

カラオケの最後に「六甲おろし」を歌うのは、相当異常なことだと東京に行って知りました。

それは嘘です。わざとやっています。

それはともかく、私が何か発信しようとする時、否応なしに、大阪人としての立ち位置からの発信となってしまいます。

■さて、最初の就職は、化学系メーカーの営業職でした。

この最初の就職というのは、ものすごく重要です。

人間が一生を過ごす上で、最初の職の影響からは抜けられないでしょう。これは大阪人であるという出自以上に私に染みついています。

あれから30年近く経ちますが、私が元メーカーの営業マン以外だったことはありません。

やはり私はメーカー視線です。同時に営業職の視点から社会を見ています。

当初、自分がそれほどメーカーや営業職に思い入れがあったわけではありません。

むしろ就職時には、営業なんて面倒だな、と思っていたぐらいです。

正直に言って、私は大した営業ではありませんでした。

行動力と反射神経だけで勝負する頭の悪い営業マンでした。

そんな自分でも成績がよかったというのは、たまたまです。受け持った得意先がよかっただけでしょう。

あるいは、周りがぬるかっただけです。聞かれたら怒られるでしょうが、その通りだと思うので。

それが、会社生活半ばを過ぎたところで、営業として目が醒める経験をしました。

■大きなきっかけの一つが、ある上司との出会いです。

今はどうか分かりませんが、当時のメーカーの営業などひどい扱いでした。技術力があれば売れる。営業は顧客につなぐだけ。営業など頭の悪い者でもできるのだから、体力のあるやつにやらせとけ。それがコンセンサスです。

私のいた会社もそういう姿勢でしたし、当の営業も、やたらプライドの高いベテランがいたものの、やっていることは「頭の悪い連中」とバカにされても仕方のないことでした。

私など、営業の仕事について教育や指導を受けたことはありません。現場で見よう見まねで覚えることが当たり前。できるやつはできる。できないやつはバカだ。ぐらいの放任主義です。

最初の頃の上司や先輩もそういう人ですから、ある意味、好き勝手にやって、居心地がよかったかも知れない。あのままでいけば、きっと私も「昔は少しは売ったらしい」というお荷物扱いのベテラン営業になっていたことでしょう。

ところが、新しくやってきた上司は違いました。

その人は、某家電メーカーから転職してやってきた人なのですが、言動が何か違う。経験主義の私でさえ、この人の言っていることは理に適っていると思わせるものがありました。

家電の営業と化学メーカーは違うなどとうそぶいている人もいましたが、私には、この上司の方が正しいと思えました。

なんでこの人の言っていることは筋が通っていると思えるのだろう。なんでこの人は、こんなに確信をもって行動できるのだろう。

その人にくっついているうちにおぼろげながら分かったのは、営業は理論で成り立ってる(あるいは理論で説明できる部分が多い)ということ。少なくとも、その上司は、理論的な確信をもって営業に臨んでいるらしいということでした。

私が、豪放磊落な営業マンを装いながら、陰でこそこそマーケティングの本などを読み始めたのは、その人の営業スタイルに近づきたいという思いがあったのです。

■まだ若かったのがよかったのですかね。5,6年程度の経験しかありませんでしたから、経験で培ったプライドを捨てる勇気が持てたわけです。

「おれは今までいっぱい売ってきたからこれでいいんだ」と意味のないプライドを手放せない人もいます。そういう人は不幸です。しかもそういう人が管理職になっていたりするわけですから、部下はもっと不幸です。

私はといえば、陰でこそこそ勉強の真似事をして、中小企業診断士の資格までとってしまうことになりました。

無駄に難しい変な資格ですよ。

だけど、この資格をとるために勉強し、その後経験したことが、私の一つの立ち位置となっています。

残念ながら、その憧れた上司からは「資格なんて意味ないよ」と言われてしまいました。会社を辞めて独立したのは、その言葉に対する反発もあったのです。初めて書きますが。

でも今ならその上司の言うことが分かります。独立してから散々苦労しましたからね^^;

今でも、実は、中小企業診断士の集まりにいけば、「この人たち、机上の空論ばかり言うてるなーー」と思います。(これも聞かれたら怒られるな。。)

逆に叩き上げの実践コンサルタントを名乗る人と話していると「チャラいなーー。全部経験論と思い込みやないか」と思ってしまいます。

偉そうに聞こえるかもしれません。でも本音を言います。それが私の立ち位置なのです。

私は、自分が学んだ理論を、コンサルティング実務で試しながら、さらに様々な理論を学んで、体系を作ってきました。

だから私の目線で見ると、有名な先生でも、ダメなものはダメだし、無名の人でも凄い人は凄い。

同業者同士褒め合ったりするのは嫌ですから、わりとクールに見ていますし、見られようと思います。

■会社員時代のことで、もう一つ、重要なことがありました。

私がいたのは化学メーカーだといいましたが、所属していたのは、ステンレス魔法瓶を製造販売する事業部でした。(今は独立して一つの会社となっています)

http://www.thermos.jp/

それは世界で初めてステンレス魔法瓶を開発した会社です。

ただ私が入った頃は、営業力が弱くて、万年3位の地位に甘んじながら、じりじりとシェアを落としていました。

それが、私のいる短い期間に、凄まじい実績向上を果たして、世界トップの地位に駆け上がったのです。

この話は何度か書いたことがありますし、セミナーの題材でもありますから、詳しくは繰り返しません。

しかし、一つの企業が、トップに上り詰めようとする時のエネルギーをその渦中で体験するというのは、本当に得難いものです。

世界一になった理由は複合的です。企画開発のイノベーションもありましたし、先ほどの上司が行った営業体制の改革もありました。さらには若手が中心となった熱い意識がありました。

その最中は、追いまくられるような毎日で、いっぱいいっぱいだという意識しかありませんでした。だけど、本当に濃い充実した日々でした。

私が、今、営業チームを戦う集団に変えるという仕事に取り組んでいるのは、その時の充実感や達成感をもっと多くの営業に共有したいという強い思いがあります。

いや、もっと本音で言いましょう。私がもう一度あの充実感、達成感を味わいたいという個人的な気持ちに突き動かされています

全く持って、成功体験とは麻薬のようなものです。あの濃い日々を過ごしたら、もうぬるい日常には戻れません。

どこの会社でも構いません。世界一を駆け上がるような経験をしてみたいと思いませんか?

一生、忘れられない経験をしてみませんか。。。

■自己紹介といいながら自分探しをしてまいりました^^

私の立ち位置をまとめます。

1.日本の最も勢いのあった時期に生まれた者という立ち位置。

2.大きな田舎である大阪で生まれ育ったという立ち位置。

3.経営に関する理論を学び、かつ実践で修正しながら、独自の体系を作ってきたという立ち位置。

4.世界トップに駆け上がった企業の内部にいた経験を持つ者という立ち位置。

今後のメルマガでは、これらの立ち位置から私は発信していきます。

末永く、お付き合いいただけるようにお願いいたします。