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メモ。上の記事は、薩摩藩が討幕を果たせた理由を、人材の量、質、および産業の分野から考察したものです。「西郷どん」にちなんでの記事でしょうが、参考になります。

その中で、着目したのは、人材の質の部分です。


討幕の主役になったのだから、維新前、維新後、活躍が目立った人材も多かったでしょう。(逆にいうと旧幕府側は、活躍の場を与えられず、埋もれた人材も多かったでしょうね)

だから薩摩にばかり人材が豊富だったという意見にはうなづけない部分もあります。

が、それでも、記事にある薩摩藩独特の人材育成システムについては、興味があります。

郷中教育というシステム


記事によると、薩摩には郷中(ごじゅう)教育というシステムがあったそうです。

鹿児島城下における家臣の居住地域は家格によって区分され、それぞれの町で「郷中」と呼ばれる少年たちのグループがつくられた。「稚児(ちご)」と呼ばれる6〜15歳ぐらいまでの少年たちが集まり、「二才(にせ)」という15〜24歳の年長武士が教える。郷中教育には“教師”が存在せず、先輩が後輩を教育しているのだ。

どんなことを教えるか、誰から学ぶかは子供たちの自由で、決まった学び場もない。子供たちは早朝に好きな先生の家を訪ね、儒学や書道などを学んでいる。さらに川遊びや相撲、武芸などにも励み、身体を鍛える。学んだ後は子供たちだけで集まり、車座(くるまざ)になって、その日学んだことをひとりずつ口頭で発表する。これによって知識が共有され、話す本人も口頭で伝えることで復習になる。

藩校ではテキスト重視の教育が行われるが、郷中教育では会話が重視される。ときには熱い議論になることもあるが、こうした口伝えの教育が実践的な力につながり、テキストだけでは身につかない決断力や実行力、判断力が身につくのだ。

郷中で一緒に過ごす時間が長いので、同じ郷中で育った者の絆は深くなっていく。その一方で、年長者に従う意識も強くなる。その結果、目上の者の命令には異議を唱えることなく黙って従うという独特の気風も生まれた。

つまり、(1)年長者が、年少者を教える。(2)テキストはない。自由。口伝え。(3)その日学んだことを発表させる。という方式です。

現場における教育の理想的な形


まさに現場における教育の理想的な形ではないですか。

現場の人間が教えるので、時と場所を選びません。教師役を探してくることもありません。内容は、現場に近いことが題材になるはずです。少なくとも身の丈に応じた教育内容になるでしょう。

口伝えなので、どの言葉を選べば正確に理解できるのかを考えなければならず、当然ながら、教える内容についてより深く理解できるようになります。相手の反応や表情を読んで、言葉を選びなおすこともあるでしょう。それも含めて対応力や判断力が身につきます。

フィードバックが組み込まれているので、仲間同士で学びが共有しやすいという点も優れています。

さらにいうと、教える側、教えられる側の絆が深まります。

先輩が教えられないような高度な内容は、別途、教授しなければなりませんが、この教育システムがあると、一定の水準までは高めることができます。


思い起こせば、サーモスにいた時代も、これに近いような感じで営業のことを学んでいきました。

小さな組織だったので、教えたり、教えられたりが活発でした。気づいたことを披露しあったり、勉強したことを皆に伝えたり、そういうことが自由にできた雰囲気がありました。

できない者、失敗した者に対して「おまえレベルの営業が発言するな」とか「こいつバカだから情報を渡すな」とか言いだす腐ったミカンみたいな先輩がいなかったのも幸運でした。

現場の風通しのよさが、現場全体のレベルを上げていたことを今さらながら思い出しました。

ちなみに、私の研修でも…


手前味噌ですが、私の研修でも、これに似たシステムを採り入れています。

一日研修などの場合、ずっと講義だけ聞いていたら、消化不良になって、何も残りません。

だから、区切りのいところで、グループに分かれて、内容をどう理解したのかを、お互いが披露しあう時間を作っています。

疑問なども、グループ内で話し合って解消いただきます。それでもわからないことは、私に戻していただいて、共有します。

理解を深め、内容を身に着けていただくための工夫ですが、このやり方を採り入れてから、満足度が非常に上がりました。

薩摩藩の郷中教育を意識してこの方式を採り入れたわけではありませんがメモしておきます。