日本でなぜアスリートは元気がいいのか
先月の日経新聞に「大谷翔平ら日本のスポーツ選手躍進が示す若者の可能性」という記事が掲載されました。
これが面白かったので、先月の「戦略勉強会」で話題にさせていただきました。
この記事で提示される疑問は「社会が停滞する日本でなぜアスリートは元気がいいのか」ということです。
メジャーリーグで史上最高額の契約を締結した大谷翔平。
本場欧州リーグで活躍するサッカーの久保建英や三笘薫。
ボクシングでは、欧米のメディアから「世代で最高の選手」と称されている井上尚弥。
少し前ですが、フィギュアスケートオリンピック2大会連続金メダルの羽生結弦。
世界に飛躍するスーパースターがスポーツの世界には何人もいるのに、政治や経済の世界ではあまり聞かないのはなぜなのか。
この記事では端的に答えています。
「競技ごとの事情はあるにせよ、全体として言えるのはスポーツはお年寄りが活躍できないからではないですか」(山口香氏)
つまり、スポーツ以外の世界がいまいちパッとしないのは、お年寄りが権力者としてのさばっているからだ。というわけですな。
明快な解答に、いたく感心いたしました。
老害になりたくない
そう聞いて、思い当たるふしがない人は少ないのではないですかね。
私だって、会社員時代を思い起こせば、理不尽に若手を押さえつけようとする上司や先輩の顔がありありと思い浮かびます。
私は生意気だったのか「おまえレベルのやつが意見するな」なんてよく言われました。
もちろん、こんな台詞を言うのは無能MAXの輩なので相手にする必要はないのですが、こんな人物のためにやる気をなくしたり、辞めてしまったりする若手がいることは機会損失以外の何者でもありません。
こんなアホ上司に耐えて意見のいえる立場になっている頃には、若手らしい発想は失っているかもしれませんからね。
とは言いながら、私も今は老害の年齢です。
若手を封殺するような真似はなるべくしたくないものです。
思い切って若手に任せる
どうすれば、若者の機会を摘み取ることなく、社会に貢献できるのか。
先月の勉強会における大きなテーマの一つでした。
一番いいのは、潔く後進に道を譲ることです。
会社は40歳定年にして、若手に活躍してもらいましょう。会社を傾かせるような大けがだけは避ける歯止めを作っておいて、あとは自由にやらせることがいいと思います。
明治維新の頃は、20歳代、30歳代の人が日本を動かしていたのだから大丈夫ですよ。年功という権威がなければ、能力のある人が表に出やすくなるはずです。
ただ、そうはいっても、少子高齢化の時代に、それは現実的な解決策とはいえませんね。
労働力が足りないので、60歳以上の人にも活躍してもらわなければいけません。20歳代から60歳、70歳、80歳代の人たちが共に働くような社会を実現しなければなりません。
私も今年60歳ですからね。まだ隠居するわけにはいきません。元気ですし。生活していかなければなりませんし。
多様性が組織の競争力になる
ということは、これからの社会は、老若男女がグラデーションを作って、お互い助け合っていくしかありません。
世代間、性差間の分断などあれば、社会は機能不全を起こします。
これでうまくいくという明確な処方箋がないので恐縮ですが、少なくとも、私のような年齢の者は、自分を過大評価せず、相手をリスペクトする姿勢を保ち続けたいと思います。
特に年齢や経験などというものを過大評価してはなりません。私の経験は、その時代に特有のものです。これからの時代に適用できるかどうかなどわかりません。
若手には若手の、女性には女性の経験があり、誰の経験がより有用かなど誰も決めることはできないはずです。
年齢や経験など関係なく、発想力、構想力、統率力、管理力、行動力、忍耐力、それぞれがお互いの能力を持ち寄って、最適なチームを作ることが重要です。
そうじゃないとこれからの時代の競争に生き残れないでしょう。
つまり多様性を認めることが、組織の競争力につながると考えます。
個人は弱者の戦略を学ぼう
私の場合、個人事業主なので、まだ自由です。生きるも死ぬも自分の差配次第ですから明快です。
大きな組織には大きな組織なりの、弱小個人には弱者なりの生きる方策がありますから、それを理解し、貫いていくのみです。
そういう意味では、弱者の戦略をどこかで学んでおくことは、大切なことなんだと思います。
誰に迷惑をかけることなく、気兼ねすることもなく、通用しなくなるまで、働き続けます。
権威になるような立場ではありませんが、一応は気を付けながら。