平成が終わっても
(2019年1月10日メルマガより)



平成も今年の4月で終わってしまうのですね。

なんだかアッと言う間でした。

小渕恵三官房長官(当時)が紙に書いた「平成」という文字を掲げたテレビの画面を昨日のことのように思い出します。

私なぞ、まだ昭和の気分を引きずっている者ですから、こんなに早く平成が終わってしまって、いったいどう考えればいいというのでしょうか。

これから4月にかけて、マスコミではいっせいに「平成の総括」を特集するでしょうが、それに先立ち、私もやってしまいます。

超個人的な平成の総括です。


平成30年で躍進したのはアメリカ企業


テレビの特集番組をみていると、平成元年の株式時価総額ランキングが並べられていて印象的です。

平成元年の世界の株式時価総額ランキングをみると、なんとトップ10のうち、8社が日本企業です。残り2社がアメリカ企業。

1位:NTT、2位:住友銀行、3位:日本興業銀行、以下金融機関が続く。

ところが、平成30年の時価総額ランキングは、トップ10のうち8社がアメリカ企業、残り2社が中国企業です。

1位:マイクロソフト、2位:アップル、3位:アマゾン、4位:アルファベット(グーグル)、5位:バークシャー・ハサウェイ(投資会社)

ちなみに株式時価総額とは、株式市場で取引される株価の総額です。買いたいと思う人が多ければ多いほど株価は上昇します。いわば株価は、その企業に対する期待値であり、将来性を示しているとみることができます。

またアメリカ企業全体の株式時価総額も9倍以上に巨額化しました。この30年でアメリカ企業がいかに成長したかを示しています。

これに対して、日本企業全体の株式時価総額は、半分近くに目減りしています。

アメリカや中国企業の急成長に比べて、日本企業の凋落ぶりを表しています。


アメリカと中国に挟まれた日本


思えば平成元年は、バブル経済まっさかりの時期です。東京23区の土地価格でアメリカ全土が買えるといわれた時代です。それは、株価も高いというものですよ。

しかし、それだけではありません。バブル崩壊のショックから充分に立ち直ったとはいえない日本に比べて、アメリカは、製造業の構造的な衰退、特に自動車産業の弱体化、あるいはリーマンショックのような金融危機に見舞われながらも、着実に経済規模を拡大してきました。

そこには、アメリカという国の底力が現れています。

平成が始まる頃「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という著作がベストセラーになるほど日本の台頭に危機感を抱いたアメリカは、アメリカ車をもっと買えとか、カリフォルニア米を買えとか、理不尽な要求を突き付けて、日本を困らせました。

それだけならただのわがまま国家ですが、その裏では、日本企業が得意とする製造業に見切りをつけて、IT、金融、ヘルスケアの分野に投資を集中させるという実に適切な選択と集中をやってのけたのです。

その結果が、時価総額9倍という今につながっています。アメリカの逆襲は見事というほかありません。

いっぽう中国は、13億人という巨大な内需を背景に、急成長をしてきました。普通に考えれば、それだけの人口を擁する国ですから、近いうちに世界一のGDPに到達することでしょう。

またもや危機感を抱いたアメリカは、中国IT企業を同盟国から締め出させたり、難癖をつけて貿易戦争を仕掛けたり、なりふり構わぬ封じ込め策に出ています。

今度、アメリカはどのような戦略をもって中国と対峙するのか、それはそれで見ものです。

が、大切なのは、その巨大国の間に挟まれているわが日本は、どのような方向性を以て生き残っていくのかということです。


バブル崩壊のツケを支払わないままの30年


かつて日本は、官民一体になって、ひとつの方向を目指していました。

資源のない日本では、海外から原材料を輸入し、それを加工して付加価値をつけて海外に売る、というビジネスモデルを志向しました。

当初、日本製といえば猿真似ばかりで粗悪品だと揶揄されていたのですが、ひとつのことにコツコツと取り組み、品質を高め、技術を蓄積するという方法は、日本人の気質に合っていたのかも知れません、いつしか技術力が世界を席巻するようになりました。

昭和の60年間、途中に敗戦経験があったものの、日本は「極東の奇跡」と称賛されるようになり、世界第2位の経済大国にまで上り詰めました。

安くて品質のいい日本製品はアメリカ企業の脅威となりました。業を煮やしたアメリカが「安売りばかりしやがって!」と怒り出し、強引にドル安に誘導していったのは、仕方なのないことでした。

円高になって、輸出がやりにくくなった日本企業は、アメリカなど現地に生産工場を作って、為替問題とアメリカとの経済摩擦問題を解決しようと図りました。

それはそれで効果を上げたのですが、このあたりから、日本得意の官民一体型の経済政策にほころびが出てきたように思います。

輸出ができなくなった日本企業は、1億人の日本国民に売ることに活路を見出し、お金が日本国内で回るようになっていきました。

余ったお金が土地に投資されて地価上昇を招くと、お金を余分に持っている人たち、あるいは山師っけのある人たちはさらなる価格上昇を見越して土地を買い漁りました。

土地ほんらいの価値などそっちのけで、値上がり転売目的の過剰な投機が日本中で行われたのです。

(土地だけではなく、美術品やゴルフ会員権などにも過剰な投資が行われました)

これがバブル経済でした。

あまりにも実体とかけ離れた価値が独り歩きしてしまったので、どこかで調整しなければならなかったのは必然です。

だから、平成のはじめに起きたバブル経済の崩壊は、昭和時代のツケを払ったということで、ある意味、そのツケを払い終わらないまま今に至っています。


極私的な平成ふり返り


実をいうと私は、平成元年(1989年)に社会人となりました。

私自身、昭和の気分を引きづったまま生きてきた人間ですが、考えてみれば、平成のスタートとともに社会人生活を送ってきたのですね。

入った会社はそれなりに大きな化学メーカーでしたが、配属されたのはステンレス魔法瓶を製造販売する傍流の弱小事業部でした。

赤字続きで売却か廃業かを検討されるようなポンコツ事業部だったことに身の不幸を嘆いたものですが、ポンコツ社員なりに集まって知恵を出し合って、生き残る道を探ってきました。

その甲斐あったというべきか、小さな事業部は奇跡的なV字回復を果たして、魔法瓶の世界トップ企業サーモスとなりました。今や、グループ内でも有数の高収益企業です。

そのあたりの経緯は、拙著『「廃業寸前」が世界トップ企業になった奇跡の物語』をお読みください。



平成16年、私は会社を辞めて独立しました。

そのままサーモスにいたらよかったのに、と未だに言われますが、独立したかったのだから仕方ありませんな。

そこから先はサバイバルの世界です。

なにしろ平成の30年は、経済成長なき30年です。まわりと同じことをしていたら、同じように鳴かず飛ばずになってしまいます。ことに私は一家四人を養っていかなければならない立場ですので、鳴かず飛ばずどころか、立ち枯れてしまいます。

その意味では「いかに生き残るか」をテーマとするランチェスター戦略や孫子の兵法を学んできたのは幸運でした。

ランチェスター戦略を知らなければ、サーモスの奇跡的な成長もなかったでしょうし、独立して15年間も生き残ることはなかったでしょう。



というわけで、私にとって平成の30年は、前半の「サーモスが世界トップ企業になるプロセスに伴走した」15年と、後半の「ひとりでビジネスを立ち上げ生き抜いていく」15年でした。

これからもサバイバルは続いていくのでしょうが、これまでと同じく、なんとか生き抜いていかなければなりません。

デジタル化革命がビジネスを普遍化した


アメリカ企業の躍進にみられるように、平成30年は、IT化、デジタル化の時代でもありました。

平成元年にはパソコンが普及しつつありましたが、平成19年には初代iPhoneが発売されて、一人一台ネットにつながる時代が本格化しました。

基本的にはすべての人間が世界中とつながることができますから、その影響は甚大です。その気になれば誰もが知りたい情報にアクセスすることができて、判断するための材料を得ることができます。

もうすぐ言語の壁もなくなるでしょう。自動翻訳機の進化もすさまじいですから。

同時に、デジタル化の進展は、コストの壁も低くしています。誰もが安価で質の良いインフラサービスを受けることができるようになってきました。

つまり、かつては大きな資本を持つ者しかできなかったビジネスの立ち上げを、はるかに小さな初期費用でできるようになってきました。

まさにやる気とアイデアと仕組みと勤勉さによって、誰もがビジネスを成功に導くことができる時代になってきたのです。


グローバル化時代にこそ必要な選択と集中


デジタル化はグローバル化につながります。

情報の壁が取り払われれば、世界は心理的に身近な場所になってきます。

大阪にいながら世界の辺境について知ることができますし、世界の辺境にいて大阪の状況を知ることができます。

情報を得ることができる場所は、気持ち的にはご近所です。私にとってアゼルバイジャンは、三重県の尾鷲よりも近いかも知れない。

ビジネスにおいても、尾鷲の方々を顧客にするよりも、世界の特定の人たちを相手にした方が、いい場合だってでてきます。


だからといって、世界中の人が顧客なんだから無限に売れるぞー。と能天気なことを言う人はあまりいないでしょうね^^;

皆に売る。とは、誰にも売っていないのと同じです。ターゲットを絞らないと、販売などできません。

対象顧客が世界に広がったからといって、自然に売れたりするなど妄想の類です。


先ほども言いましたが、アメリカの今日の繁栄は、的確な選択と集中によってなされたものです。

選択と集中と簡単に言いますが、実際、それをやりきるのは並大抵ではありません。

選択から漏れた産業や業界にも、既得権益を持つ人たちが大勢いるわけですから、それらの抵抗を無視して政策を進めるのは、かなり思い切った覚悟が必要です。

伝統的に欧米の企業は選択と集中(ポジショニング戦略)が得意だと言われますが、国家ぐるみの大掛かりな施策には、さすがに驚きます。


グローバル時代にこそローカル化していく


では、今の日本が、それほどドラスティックな割り切りができるものでしょうか。

できないでしょう。

日本には日本の良さがありますが、戦略的な選択や、それに伴う切り捨てや割り切りは、日本人が苦手とするものです。

歴史があって、1億人以上も国民がいて、既得権益者がこれだけ各業界に存在する日本において、今さら国全体が一つの方向に進むということは考えにくいです。

だとすればどうすればいいのか?

一つの方法は、国という大きな単位ではなく、地方単位で意思決定できるような制度に改めることです。

例えば、大阪府の人口は886万人です。

これは、香港(805万人)やスイス(766万人)やオーストリア(839万人)に近い規模です。

この規模の国は、国内で経済を回すには小さすぎるので、グローバルに展開しなければやっていけません。

だから彼らはそれぞれ特長を磨き、世界で勝てる分野に方向を定めています。

(例に挙げた国は、たまたま金融に特長がありますが)

すなわち、規模が数百万人というグループは、ポジショニング戦略をとらざるを得ない状況なのです。

日本もその規模に分かれて、各グループが独自の戦略で生き残る方法を考えていけばいいのです。

その場合、国にいちいちお伺いを立てていたらスピードが鈍るし、小姑が介入してきて面倒なので、地方だけで政策を決められるようにすればいい。

何より、自分たちで自分の命運を決めることができます。政治にも関心が出てくるでしょうし、選挙にも真剣に取り組むというものですよ。

道州制構想は、この考えのもとに考えられています。

いま日本政府国家に期待するのは、道州制構想のように、地方への権限移譲をしてくれること、その一点です。

そうじゃないと地方だけではなく、日本全体がじり貧になってしまうと思うからです。


国に頼れないなら自分で生き残っていくしかない


いや、それでも日本は割り切れない。という意見もあります。

なにより既得権を持つ中央省庁が、地方に権限を渡すわけがないじゃないか。

そうかも知れませんね。

だとしたら、国や行政に期待するのはやめましょう。

我々個人個人が、自分で生き残るための方向性を見定めて、サバイバルをしていかなければなりません。

そういう覚悟も必要ですよね。


私は、今まで通りサバイバルの日々を続けてまいります。