00


この記事、面白いです。岩井克人さんによると、人間が抽象的な概念を発達させたのは、貨幣経済が成立したからだということです。ギリシャ時代のことです。

お金があるからわれわれは共通価値を見出した


人間は言葉を持つことによって、コミュニケーションの方法を発達させていきましたが、同時に抽象概念を身につけました。言葉により我々は考え、気持ちのやりとりをします。言葉にされた考えや気持ちは原初のあやふやなものではなく、論理などの抽象概念によって整理されたものです。

その人間が生み出したさらに分りやすい抽象概念がお金です。お金は物々交換で取引されていた物資の価値を測る尺度となりました。本来無価値なお金を皆が信じることで、貨幣経済は成立します。

お金という概念が拡がったために、人々は社会全体に通用する共通価値があることを信じるようになりました。それが、哲学、文学、科学、民主主義につながっていった。同時に社会から独立した個人という概念を生み出した。というのが、この記事に書いてあることです。

お金につきまとい胡散臭さ


お金で測れないものもある、とネガティブに捉えるフレーズもありますが、逆に言うと、殆どのことはお金で測れてしまうわけです。我々が持っている共通価値で、お金ほど便利で使い勝手のいいものはありません。

ただし何でもお金に換算しようとすることに反発する気持ちも分かります。お金で測れるもの(財。商品、物資、労働力など)と測れないもの(人権、精神、歴史など)を混同させることは無意味です。私の感じる反発心は、恐らく、混同させてはならない価値を並べて「どちらが上だ」と判定し、それを他人に押し付けてくることに対してです。

何でも金儲けに利用しようとすること。何でも個人の精神や尊厳に帰結させようとすること。どちらも同じです。

貨幣経済はこのまま続くのだろうか?


そのお金の使い勝手が、悪くなってきているようです。ヨーロッパやアメリカでそれが顕著です。大体、世界中でお金が余っているということ自体が、お金と現実の価値が不適合となっているわけです。

ポスト資本主義とは、お金の使い方のルール付けをしなおそうという試みでしょうね。残念ながらどういうルールがいいのか私には分りません。無責任ですみませんが。