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■ハンバーガーチェーンのドムドムに関する記事です。珍しい。


ダイエー系列で一時期は店舗数もそれなりに多かったハンバーガーチェーンです。

ダイエーの凋落とともに終焉を迎えた(実際は細々と続けていたのですが…)悲運のハンバーガーチェーンの経緯が興味深く読めました。

■記事によると、ドムドムは日本初のハンバーガーチェーンだとか。

当初はマクドナルドを日本で始めたかったダイエー創業者の中内功氏ですが、「銀座のユダヤ小人」と異名をとる藤田田氏に日本展開の権利をとられてしまいます。

激怒した中内氏は、マクドナルドより先に、ドムドムを立ち上げます。ダイエー店舗内で展開するためのものですが、マクドナルド憎しという気持ちも相当強かったらしい。

■米国におけるマクドナルドは、庶民のためのチェーンなのでダイエー内で展開する方がイメージにあっていたでしょう。

しかし、藤田氏は日本流を貫きます。「文明流水理論」とかで、文明は高いところから低いところに流れるという説のもと、銀座の一等地にマクドナルド一号店を構えます。

藤田氏の売り方は、低所得者層のためのチェーンではなく、ハンバーガーという新しい文化を日本に広めるというものでした。

藤田氏の方法によって、日本に馴染みのないハンバーガーという食べ物が新しくお洒落なものとして広がっていきます。その規格外の成功は、レイ・クロックでさえ予想できなかったものだったようです。

■割を食ったのはドムドムで、イメージとしてもマクドナルドの後塵を拝することになります。

全盛期にやっていたのは、マクドナルドと同じが少し安い価格設定をした上で、マクドナルドにない商品をちょこちょこ開発するという現場対応レベルの施策です。

ただダイエーに勢いがあったので、店舗数も増やせて、それなりの利益は出せていたようです。

■もっともマクドナルド憎しの思いが消えない中内氏は、対抗策としてウェンディーズとのフランチャイズ契約を獲得します。

今度はマクドナルドよりも斬新なハンバーガーチェーンで売り出したかったのでしょうが、時期が悪かった。

マクドナルドと同じように銀座の一等地に店を構えるも、バブル経済のあおりで地価の負担が大きく、利益を出すには至らなかったようです。

■その後、ダイエーの凋落、中内氏の失脚とともに、ドムドムもウェンディーズの展開も終焉を迎えます。

現在はどちらも他資本で復活を目指していますが、市場全体が成熟した今から店舗数を増やすことは難しいでしょう。

■様々な要因があったとはいえ、やはり、日本にない新しいものを展開させるための藤田氏の考え方と手腕が光ります。

その後、スターバックスが日本に展開する時も同じ方法論を踏襲していますから、応用のきくやり方であることがわかりますね。

その陰にあって割を食ったドムドムやウェンディーズですが、陰は陰なりの戦略がなかったのも事実です。

バブル崩壊後、ハンバーガーチェーンどころではなくなったということもあるでしょうが、任せられる人が育っていなかったこと、中内氏自身が弱者の戦略を考えながら展開できる人でなかったことが、マクドナルドに対抗できなかった原因であると言われても仕方がないと思います。