(2014年6月12日メルマガより)
新任マネージャー向けの研修です。
いずれも優秀な現場担当者だった人たちが、
だから、現場で求められる能力と、
■2人の世界的なサッカー関係者をとりあげました。
1人は、ディエゴ・マラドーナ。
http://bit.ly/1koZhiJ
20世紀を代表する名選手といわれ、
特に1986年メキシコ大会においては、「
もちろん今でも母国アルゼンチンの英雄です。
ただし、監督になってからの成績はパッとしません。
人懐っこい人柄からか、選手との関係は良好でしたが、
結局、選手としては超一流。監督としては三流というのが、
■もう1人は、ジョゼ・モウリーニョ。
http://bit.ly/1oWbGyL
ポルトガル出身。
サッカー選手としてはほぼ無名です。
が、監督としては、ポルトガル、イタリア、イングランド、
欧州サッカー連盟の最高監督に前人未到の4度選出された現在最高
■この事例からわかるのは、
全くもって単純な事実なのですが、
だからプロ選手経験のない人が名監督になるという事例はごろごろ
これに対して、プロ野球で、
その意味では、
■たとえば、落合博満という人がいます。
8年間でリーグ優勝4回。日本一が1回。
実績としては、誰も文句のつけられない名監督です。
私も好きなプロ野球監督の一人ですが、一つだけ不満があります。
落合監督は、生意気な選手に言うことを聞かせる時に「
無理言うな!
誰も、
※三冠王とは、打者として、打率、打点、
落合博満はたまたま名監督だからよかったものの、
それを平気で口にするところに、
■これは営業の世界でもそのまま当てはまります。
優秀な現場営業が、優秀なマネージャーになれるとは限りません。
ところが、会社は、
「おれが簡単に出来ることを、なんでお前らは出来ないんだ!」
あげくは「部下がバカだから、その分、
これは本人にとっても不幸ですが、
仕方ないから「反面教師も勉強だよ」と慰めるしかありませんわ。
■たいていの会社は、営業職の場合、
自ら担当先を持っている営業マネージャーのことです。
これは、マネージャー見習いといった位置づけなんでしょうかね。
だから、部下ができたからといって、
会社側とすれば、誰に能力があるのか分からないから、
そんなわけですから、この時期に「部下がバカだからおれが稼ぐ」
そんな者に、10人のチームを任せることができますか?
■いずれマネージャーは、すべての担当を外れます。
それなのに、
つまり、マネージャーは、他人を通してしか、
少なくとも、ただの現場営業から、営業マネージャーになりたい。
■プレイングマネージャーというのは、本当に酷な役割ですよ。
現場に出て実績を上げなければならない。
しかも、部下の目標達成にも責任を持たなければならない。
両方同時にするなんて、大変なことですよ。
でも、
それが出来る者しか、
■私が考えるに、マネージャーの役割を大雑把にいえば、
1つは、チームメンバーをやる気にさせる役割。
1つは、適切な行動をとらせる役割。です。
先のサッカーの事例でいうと、マラドーナは、
彼は、有名選手だからと偉そうにしたりはしませんでした。
むしろ現場を知る人間として、選手と同じ目線に立って、
分かりやすい目標やチームのビジョンを選手に見せて、
もともと人懐っこい性格もあって、
■が、それだけでは足りませんでした。
現代のサッカーは、チームメンバーがやる気になって、
もちろん現場で行動するのは選手です。さぼる選手は論外。
だからといって、試合結果を選手の責任にしてはなりません。
選手を現場に行かせるからには、
サッカーでいえば、戦術です。
フォーメーションを決めるのは監督の役割です。
マラドーナの問題は、どうも、その戦術・
■もう一度言います。
「選手を頑張らせるからには、
「選手に頑張ってもらって、成果を出そう」という態度では、
世界最高の監督といわれるモウリーニョは、
相手の動きや状態に合わせて、
この局面ではどういう戦術をとるべきか。
この局面ではどの選手をピッチに送り込むべきか。
それを判断できるのは監督だけですから、
投入した選手ができなくても監督の責任。
マネージャーとはそういう職種なのです。
■さらにキツイことを言いますが「やってみないと分からない」
「やる前から成果が出ると分かる」
だからこそ、自分自身も、現場で必死に動いていたら成果が出た。
どうやら、マラドーナの場合は、圧倒的な現場力があったために、
それでは、部下を指導することができません。
自分がやってきたこと、ノウハウを体系化して、
■サッカー界では、
そのプログラムを受講して、
それは、まさに、
ジョゼ・モウリーニョのような人は、常に最新の戦略・
それが、どんな局面でもお手上げにならずに、
今、現在、プレインマネージャーとして苦労されている方は、
簡単なことではありませんが、そのためにこそ、