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■素晴らしいストーリーの記事です。ぜひ読んでください。


かいつまでいうと、吉野家を急成長させた安倍会長の回想です。急成長といっても、吉野家は2度の大きな危機を経験しています。それを乗り越えたのだから大変なことでした。

■1度目は、倒産。

築地で牛丼店を成功させた創業者が、チェーン化に乗り出します。

「早い、うまい、安い」という秀逸なキャッチフレーズとともに全国展開を果たした吉野家ですが、急拡大にオペレーションが追い付かず、顧客が離れていってしまいました。

アルバイトから入って、米国に留学していた安倍氏が帰国してみると、倒産の危機にあったという話です。

■ここで安倍氏は、リーダーシップを発揮します。

倒産後やってきた経営陣と対立しながらも、残った従業員をまとめていきます。

チェーン店としての吉野家というコンテンツが、時代に通用しなかったというわけでないことが重要でした。オペレーションを見直せば、復活するという見込みはあったでしょう。

しかし、倒産した企業の従業員をもう一度やる気にさせるのは並大抵のことではありません。安倍氏のリーダーシップは、不安になる従業員をまとめることに発揮されたようです。

その結果、思いついたのが「倒産まで任務を全うしたほうが、再就職先での信頼が高まるだろう」「倒産なんてめったにない経験だから、最後まで見届けよう」というような、普段全く縁のないモチベーショントークでした。相手の性格によってどういう動機付けが響くかを探りながら、励ましていく。このときに学んだ相対コミュニケーションの大切さ、相手を把握するための努力というのは、後にさまざまな立場でリーダーシップを発揮する上で大変役に立ちました。

■その後、安倍氏を中心として吉野家は、急成長のひずみを経験した反省から、財務や業務オペレーションなど❝守り❞を意識した経営に舵を切り、鉄壁の仕組みを作り上げます。

急拡大時に起きたような乾燥肉を使うなどという愚は犯さず、「ともかく店を開いている限り、会社の事情に関係なくお客さまはいらっしゃる。お客さまが求める商品とサービスを提供し、喜んでもらうのがわれわれの役割であり、使命である。それはどんな状態でも変わらない」という基本を守りました。

これを安倍氏は吉野家のDNAと呼んでいます。

復活後の吉野家は、牛丼単品経営をとことん突き詰め、盤石の経営を誇っていました。

■しかし2度目の危機。BSE騒動により米国肉の輸入が禁止されたことです。

牛丼屋が牛肉を使えない。というのは、写真屋が写真を使えないという富士フィルムに匹敵するような危機です。

ここでも安倍氏のリーダーシップが際立ちます。

「牛丼抜きで営業利益率5%」という具体的な数字を掲げ、「牛丼で培ってきた素材調達、キッチンオペレーション、保管流通システム等のスキルとマインドを最大限に活用し、別の商品で表現してみよう。吉野家は牛丼抜きでこの目標を達成できるすごい集団だということを、世間に示そうじゃないか」と呼び掛けました。

しかし、この時期、吉野家への差別化から既にメニューをバラエティ化していた「すき家」が、頭一つ抜け出します。そして輸入再開された2006年が勝負処とみて一気に店舗数を拡大し、店舗数、売上ともにトップに躍り出ます。この時のゼンショーグループの勝負勘は見事でした。

が、そんな折にも焦らず、安全運転を続けた吉野家も立派だったと思います。

結果として、牛丼チェーンは、ゼンショー、吉野家、松屋で飽和市場を分け合う形となったわけですが、最も危機的な立場にあった吉野家を2位に留めた安倍氏の手腕は称賛されるべきではないでしょうか。

生き残ったのですから、反攻の機会もあるでしょうし。

経営者の役割は、業績のいいときほど未来に潜む危機感を煽り、本当に危機的状況のときには、当面やるべきことに全力を傾注し、成果を出すことで「大丈夫」と従業員を安心させること。そのためには直面している問題を共有し、時間を置かずに打開策とそのためのステップを明示する。「こういう手順で、ここまでいければ何とかなる」と具体的に示せば、従業員は課題に集中でき、疑心暗鬼にならずにすみます。

いいこと言っていますね。ぜひ読んでください。

 


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