君主論を読みなさい


(2020年5月28日メルマガより)

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自粛期間中に読んだ本の中で、お勧めを一冊あげろといわれるとこれになります。

君主論 - 新版 (中公文庫)
マキアヴェリ
中央公論新社
2018-02-23


(私の読んだものは、1975年発行の中公文庫版ですが)

とにかく面白い。

著名な古典なので、題名を知っている人は多いでしょう。が、実際に読んだ人は少ないと聞いています。

これ、読むべきですよ。そんなに長い本ではありません。特に経営者やマネージャーや、人の上に立つ仕事をする人は、読んでください。


「孫子」との類似点


マキアヴェリというと、悪党の代表みたいな言い方をされることがあります。

「目的のためなら手段を選ばないことをする考え方」のことをマキアヴェリズム(マキアヴェリ主義)というそうです。

たしかに「君主論」には、身もふたもない言い回しが頻発します。

「民衆というものは、頭を撫でるか、消してしまうか、そのどちらかにしなければならない」3章

「人間は、恐れている者より、愛情を示してくれる者を容赦なく傷つける」17章

「奸策を用いて人々の頭脳を混乱させた君主が、かえって大事業をなしとげている」18章

「人は必要に迫られて善人となっているのであって、そうでなければ、あなたに対してきまって悪事を働くであろう」23章

いやはや。この身もふたもない様子は、「孫子」に通じるものがあります。

孫子 (講談社学術文庫)
浅野裕一
講談社
2019-01-18



「孫子」は、徹頭徹尾、冷静で合理的な考えに貫かれて書かれていますが、「君主論」も同じです。

マキアヴェリはこの本の中で「建前は廃して、役に立つことだけを書く」という覚悟を示しています。

その徹底した姿勢が、この本を不朽のものとしているのでしょう。


「孫子」との類似点はほかにもあります。

「孫子」が戦争に勝つための方法論の書であると誤解されているように、「君主論」も悪としての生き方や方法論を書いたものだと誤解されています。

この点、私も誤解していました。

この本を読んで感じるのは、マキアヴェリの誠実で真面目な人物像です。決して、奇をてらった偽悪者ではなく、倫理を冒して喜ぶ性格破綻者でもなく、真摯に自分の考えるところを主張しています。


マキアヴェリとはどのような人物か


ニッコロ・マキアヴェリは、15世紀イタリア、フィレンツェの人です。貴族階級ではありませんが、若くしてフィレンツェ共和国の官僚政治家となった有能な人物です。

ただその頃、イタリアは統一国家ではなく、いくつかの小国に分かれていました。だから、フランスやスペインなど強力な王国の侵略の危機に晒されていました。

外交官として、いくつもの修羅場を経験したマキアヴェリは、国家や君主の在り方について考えを深めていきました。

そんな折、スペインに攻撃されたフィレンツェ共和国が陥落し、元首ソデリーニは逃亡してしまいます。残されたマキアヴェリは投獄、拷問されました。

かねてからソデリーニの優柔不断な政治姿勢に疑問を持っていたマキアヴェリにとって、この出来事は「国を守れない君主は害悪でしかない」という信念を強固にさせるものでした。

公職追放されたマキアヴェリは、思いのたけを執筆活動にぶつけました。「君主論」は、フィレンツェの支配者になったメディチ家に向けて書かれたものだといわれていますが、メディチ家の当主が読むことはなかったようです。

「君主論」により名声を得たマキアヴェリは、歴史書の編纂を任されたり、貴族の子息の教育係として採用されたりしました。しかし、望んでいた公職復帰はなりませんでした。


国を守るためには、悪の道にも踏み込め


「君主論」は、それまでの生涯で得たマキアヴェリの信念と知見を真摯にぶつけたものです。

その主張を一言でいうと「君主は何があっても国を守らなければならない。そのためには悪の道に踏み込むことも厭ってはいけない」というものです。

この本の7章に、マキアヴェリが高く評価する政治家チェザーレ・ボルジアの逸話が出てきます。

彼が、ロマーニャ地方の新首領になった時、治安は荒れていました。そこで腹心の部下を送り込み、厳しい姿勢で弾圧・統治させました。

その甲斐あって、ロマーニャの治安は回復します。ところが、あまりに厳しい統治姿勢に反感を持つ住民も多くいることがわかりました。

そこでチェザーレ・ボルジアは、自ら送り込んだ腹心の部下を処刑し、真っ二つにした死体を晒させたのです。

凄惨な光景をみたロマーニャの住民たちは、溜飲を下げると同時に、新首領の残忍さに恐れ慄き、逆らう者はいなくなったということです。

自分に忠実な部下を捨て駒にするチェザーレの非道さは、許せざるものです。しかし、憐れみ深い姿勢をとりすぎて、国を危うくする君主よりはよほどマシだというのが、マキアヴェリの考えでした。

君主は、運命を手懐けるほどの力量を持たなければならない、と彼はいいます。

そのためには、冷酷にも、恐怖にも、吝嗇にもならなければならない。ライオンの力とキツネの利口さを持つことが必要だ。

マキアヴェリはそう書いています。


会社経営へのヒント


「君主論」は、全26章から構成されています。

前半の14章までは当時の国の種類ごとによる統治の在り方や軍備などについて書かれています。

当時の国の種類など読んでもつまらんと思わないでください。前半もおもしろいですから。

「国を征服する君主は、国の保持にあたっては次の二点にとくに気をつけなくてはならない。その一つは、その領土の昔からの君主の血統を根絶することであり、もう一つは、そこの法律や税制に手をつけないことである」3章

これを会社経営に置き換えればどうでしょうか。

M&Aをした会社を経営する場合、二つのことに気をつけなければならない。一つは、前経営者の影響を根絶することであり、もう一つは、そこの規範や文化に手をつけないことである。(オーナーが変わって損をしたと思わせないことである)

「加害行為は、一気にやってしまわなくてはならない(中略)恩恵は(中略)小出しにやらなくてはいけない」8章

社員が痛みにおもうこと(罰則、リストラなど)は一気にやってしまう。社員が恩恵に思うこと(報奨など)は小出しにして長く味わってもらう。

「(外国援軍)は、きまってこれをまねいた側に災いを与える。なぜなら、援軍が負けると、あなたは滅びるわけであり、勝てば勝つで、あなたは彼らの虜になる」13章

(営業や技術など)経営のコアな部分を他社に頼ると、きまって災いが与えられる。儲からないと会社はつぶれるし、儲かれば、他社の言いなりになる。


君主に必要な資質


もっとも「君主論」が不朽の名声を得ているのは、後半の15章からです。

ここには、君主が必要とする資質や人の心のつかみ方について書かれています。

もちろんマキアヴェリも、君主があらゆる美徳を備えていることは称賛されるべきだと書いています。

しかし、美徳を備えているからといって、国が守れないのでは役割を果たしたことにはなりません。

それならば悪徳のように見えても、国の安全と繁栄をもたらす方が望ましいというものです。

具体的には、鷹揚さよりも吝嗇であるべきだ。憐れみ深いよりも残酷であるべきだ。愛されるよりも、恐れられるべきだ。約束を守る必要もない。とマキアヴェリは言います。

「大事業はすべて吝嗇とみなされた人によってしかなしとげられていない」16章

「(残忍な)君主がくだす裁決が、ただ一個人を傷つけるだけで済むのに対して、前者(憐れみ深い君主)のばあいは、国民全体を傷つけることになる」17章

「(君主にとって)愛されるより恐れられるほうが、はるかに安全である」17章

「信義を重んずる必要はない(中略)信義の不履行を合法的に言いつくろうための口実は、君主にはいつでも見いだせる」18章

さらには

「りっぱな気質をそなえていて、つねに尊重しているというのは有害であり、そなえているように思わせること、それが有益である」18章

とまで言っています。


軽くみられないためには


国を永らえさせるためには、周りの者や民衆を味方につけなければなりません。

しかし、それは、おもねることではありません。

君主にとっていちばんいけないのは、周りの者や民衆から恨みを買ったり、軽くみられたりすることです。

「世の中の人間というものは、財産や名誉さえ奪われなければ、けっこう満足して暮らしていくものである」19章

つまり、人の財産を奪ったり、不当に名誉を傷つけたりすることには気を付けなければなりません。当たり前ですが。

いっぽう軽蔑されないためには、大事業を行ったり、勇気や決断力など圧倒的な力を示すことです。

「自分の裁断はぜったいに撤回しないようにすること(中略)だれであっても、君主をだまそうとか、言いくるめようなどと考えることは、考えることさえおろかだという世評を打ち立てることである」19章


諫言を聞く仕組み


君主ともなれば、イエスマンが周りに集まってきます。へつらい者です。

そのような者の意見だけを聞くことも、軽く見られる因となります。

そこで、国中から賢者を選び、率直な意見を聞く仕組みを作り上げるのがいいとマキアヴェリは言っています。23章

諫言(かんげん)の仕組みです。

中国古典で、経営者必読の書といわれる「貞観政要」には、諫言の重要性が繰り返し書かれています。諫言をいう役割の重臣も設けられていたほどです。

貞観政要 (ちくま学芸文庫)
呉 兢
筑摩書房
2015-09-09


図らずも、同じことを言っているわけですな。

ただし、マキアヴェリは、助言を聞いたからといって、丸呑みするのではなく必ず深く考えること、と付け加えています。

助言者にも私利私欲があると考えるべきで、そのような進言をうのみにするわけにはいかないからです。

どこまでも性悪説に徹底しており、面白いですね。


経営者必読の書


「君主論」は、高い名声とともに、悪名も呼び、多くの地域で発禁処分となったようです。

それだけキリスト教価値観に照らして問題のある書だったということですね。

もちろん「論語」に親しみ儒教的価値観を持つ日本人でも眉をしかめる人は多いのではないでしょうか。

ただ、先にあげた「貞観政要」(の抄本)を読んでも、決して大きく外れたことが書いてあるわけではありません。

「貞観政要」に書かれてあるのも、国を維持し繁栄させるために必要な為政者の役割、姿勢、方法論などです。

たしかに「君主論」の方が、道徳を無視する姿勢がありすぎる感がありますが、そうでなければ踏み込めなかった内容が書かれていることに価値があります。

欧州では、今でも、政治家や経営者にひろく読まれていることで知られています。

まあ、とにかく読んでみてください。