面白い記事でした。
著者の押井守氏は有名なアニメ作家です。以前はカルト的な人気の人でしたが、今は大御所ですね。
その押井氏が、自らの勝敗哲学を語っています。シリーズものの第1回です。
自分だけの勝敗の基準を持つ
簡単にいうと、
1.自分なりの勝敗の基準を持つ。
2.その上で、負けない戦いをする。
ということになりますか。
「勝敗は時の運」などと考えずに、徹底して勝敗を自分のコントロール下に置く。
そのためには、自分の内部に「勝敗の基準」を置き、他人には見せない。
その自分だけの基準の中でさえ無理に勝とうとせずに、引き分けに持ち込む。
抽象的な言い方になっていますが、押井氏の発言には、阿佐田哲也の勝敗論を彷彿とさせるものがあります。
というと、決着は最後につくものだからです。ある時、勝った。と思っても、長い人生の中で帳尻合わせがあるかも知れない。
あるいは極端な話、次の世代で反撃に合うかも知れない。
そう考えると、短期的な勝ち負けなどどうでもいい気休めみたいなものだという話になってしまいます。
だから我々ができるのは、自分の中の基準で戦い、少なくとも大きく負けないようにすること。
それが長い人生を生き抜くコツだという話です。
押井氏の場合、無名の時はバランスを崩すことはなかったものの、有名になってくると様々な雑音や雑念が入ってくるようになります。
「勝敗は時の運」などと考えずに、徹底して勝敗を自分のコントロール下に置く。
そのためには、自分の内部に「勝敗の基準」を置き、他人には見せない。
その自分だけの基準の中でさえ無理に勝とうとせずに、引き分けに持ち込む。
抽象的な言い方になっていますが、押井氏の発言には、阿佐田哲也の勝敗論を彷彿とさせるものがあります。
なぜ引き分けでいいのか?
というと、決着は最後につくものだからです。ある時、勝った。と思っても、長い人生の中で帳尻合わせがあるかも知れない。
あるいは極端な話、次の世代で反撃に合うかも知れない。
そう考えると、短期的な勝ち負けなどどうでもいい気休めみたいなものだという話になってしまいます。
だから我々ができるのは、自分の中の基準で戦い、少なくとも大きく負けないようにすること。
それが長い人生を生き抜くコツだという話です。
押井氏の場合、無名の時はバランスを崩すことはなかったものの、有名になってくると様々な雑音や雑念が入ってくるようになります。
そういうようなことでしみじみ思ったわけなんです。自分はどういうスタンスで、何のために映画を作るのか。どこまでが攻勢の限界点なのか、どこまで撤退すべきなのか、撤退するときに何を獲得すべきなのか、時間なのか金なのか、というようなことを。
なんて自分の勝敗の基準については曖昧にごまかしていますがね。
負け犬になることは心地よい
記事の中で、「負けることの誘惑」という言葉が出てきています。
これも深い。勝ち続けることは苦しいことです。いつ負けるかわからないわけですから。
しかし、一度負けてしまうと、そんな苦しみは消えてしまい、自己憐憫だけが残ります。負け犬になるということは実は、心地よいことなんですな。
そうならないためにも、自分の基準を守り、負けない生き方をする。
勝負師らしい考え方です。
これも深い。勝ち続けることは苦しいことです。いつ負けるかわからないわけですから。
しかし、一度負けてしまうと、そんな苦しみは消えてしまい、自己憐憫だけが残ります。負け犬になるということは実は、心地よいことなんですな。
そうならないためにも、自分の基準を守り、負けない生き方をする。
勝負師らしい考え方です。