内山高志



(2017年8月10日メルマガより)


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■2017年7月29日。
日本ボクシング史上に残る名ボクサーが引退を発表しました。

内山高志。37歳。

WBA世界スーパーフェザー級王座を6年間に渡って11度防衛。(そのうち9度はKOかTKO)

一時期は"絶対王者"とも称され、WBAからはスーパー王者に認定されました。

※スーパー王者とは、正規王者の上位に位置づけられる存在。他団体の王者を同時に保有していたり、5〜10度以上防衛している王者が認定される。

■スーパーフェザー級は、体重58.97キログラム以下の階級です。

内山高志の身長が171センチなので、およそ日本人の平均身長です。

アジア人中心の軽量級とは違って、世界中の強豪がひしめく激戦階級といえます。

その階級で、内山高志は、対戦相手として避けられるほどの強い王者として君臨しました。

■しかし、内山高志の価値は、そんな記録にみられるだけにあるのではありません。

本当の価値は、彼が成し遂げてきたもののプロセスにあります。

「センスもパンチ力もなかった」

それが内山高志がしばしば口にするボクシングを始めた頃の自己評価でした。

そんな凡庸な選手が、どのようにして世界から畏れられる名王者になっていったというのでしょうか。

■内山高志がボクシングを始めたのは、高校生になってからでした。

辰吉丈一郎に憧れたという内山少年ですが、喧嘩慣れした不良だったわけではなく、それまで野球やサッカーをやっていたごく普通の高校生でした。

体育の成績も普通。特に身体能力が高いわけではなかったようです。

ボクシングの強豪・花咲徳栄高校であったとはいえ、目立つ存在ではありませんでした。

それどころか同級生と比べて「センスがない」と自覚するような存在でした。

そこからさらに強豪の拓殖大学に進学。全国の精鋭が集まる同大学ボクシング部で内山は戦力外の扱いで、試合中には荷物番をさせられていたそうです。

■そもそもボクシングは「才能のスポーツ」だと言われます。

もちろんあらゆるスポーツは才能がない者にとって厳しいものです。趣味として楽しむならいいのですが、プロとして高いレベルでやっていくには飛びぬけた才能が必要になるでしょう。

が、そんな中でも、ボクシングはより才能を求められるものだと言われています。

汗の最後の一滴まで搾り取るような減量を経た後に、技術を極めた選手同士が、狭いリングの中で顔を殴りあう競技です。

動体視力、瞬間の反応、スピード、身体そのものの強さ、スタミナ、パンチ力、闘争心。

いずれも高いレベルで持ちあわせていないと、プロにはなれません。

しかも瞬間で決着がつく競技なので、考えている暇はありません。身体で反応しなければ勝ち目がないどころか、重大な事故につながりかねません。

世界チャンピオン経験者も「早い段階で才能がないと悟ったら辞めるべきだ」と発言しています。

■だからプロボクシングでも、4回戦や6回戦あたりでは、ろくに練習をしないのにやたら強い選手の存在が見られます。

それどころか、海外では、ほとんど練習していないのに世界チャンピオンにまで上り詰めた怪物選手の話がまことしやかに流れています。(ロベルト・デュランとかね...)

強いやつは強い。いくら練習をしても、才能のあるやつには敵わない。

ひところは、それがボクシング界の半ば常識でした。

確かに、世界チャンピオンになる人の成績は、ほとんどが全勝です。悪くても1、2敗。最初の頃から負けているようでは、世界チャンピオンになる才能はないということです。

■ところが、大学入学時に、戦力外扱いされて荷物番だった内山高志選手は、その悔しい思いで反発します。

すなわちレギュラー選手が練習を終えた夜、居残って練習を開始します。

レギュラー陣の3倍練習しなければ追い付けない。というのがその時の危機感だったようです。

夏休み、同級生が帰郷すれば、これ幸いとばかりに練習に明け暮れます。

練習量では負けない。というのが、高校・大学を通じて内山選手が守った意地でした。

才能で勝てないなら量で対抗する。というのはしごく真っ当な競争意識です。しかしそれをやりきる人はごく少数です。

そういう意味では、決めたことをやり通すという闘争心の持続は、内山選手が持っていた最大の才能なのかもしれません。

■レギュラー選手の調整相手(要するに殴られ役)だった内山選手は、いつしか彼らを圧倒する存在になっていきます。

特に練習量に裏打ちされたスタミナは、センスに溢れたレギュラー陣を打ち負かす原動力になっていったようです。

練習すれば勝てる。という成功体験は、内山選手をますます練習の虫にさせていきました。

その結果が、大学4年時の全日本選手権制覇につながっていきました。

その後社会人時代にかけて、全日本3連覇を達成。プロ入りする頃には「世界チャンピオンになれる素材」といわれるようになっていました。

■内山高志選手のこうしたキャリアをみると、「1万時間の法則」を思い出します。

参考:新社会人に贈る「1万時間の法則」
https://www.createvalue.biz/column2/post-418.html

時間は誰にも公平に与えられた資産です。

その資産をどのように使うのかは、それぞれが等しく持つ権利といえるでしょう。

その権利を内山選手のように一つの目標のために使うのか。

あるいはその時々の気晴らしや欲求充足のために使うのか。

各個人がどのように権利を行使するかで、得られる成果は大きく変わってくるという事実を肝に銘じておかなければならないと思う次第です。

■内山高志選手といえば「ノックアウト・ダイナマイト」と称されるKOアーチストでした。

その凄まじいパンチは、世界戦10KOorTKOという脅威的な結果を生むと同時に、内山選手自身の拳や肘を破壊するなどの副作用を起こすほどでした

しかし、もともと内山選手はパンチ力のある方ではなかったと言っています

実はこれも練習の賜物です。

大学時代、リングで練習させてもらえなかった内山選手は、サンドバッグをひたすら思いきり叩くという練習を繰り返していたそうです。

それがパンチ力の基礎となりました。

プロになってからもさらに練習の虫だった内山選手は、スパーリングなどで強いパンチが打てた時、その時の身体の動きを分析・再現し、偶然打てたパンチを意識して打てるように訓練していったといいます。

ということは、パンチ力に限らず、内山選手の技術は、こうした細かな研究と工夫の上に徐々に積み上げられていったということです。

内山選手がチャンピオンになってからさらに強くなっていったというのは、偶然でも何でもなかったことがこの逸話からも分かります。

その行動はまるで、成績のよい営業マンが、成果が出た際の行動を分析し、習慣化することで、業績を上積みしていく自己管理に似ています。

どの分野でも一流の人がやることは似ています。

内山選手なら今後何をやっても成功するのだろうなと思わずにはいられません。

■引退会見において、内山選手は「悔いがない」と言いました。

しかし本心は違うはずです。内山選手ほどの実力があれば、海外の強豪とも互角以上に戦えたはず。本場といわれるラスベガスのリングに上りたかったことでしょう。

現在、日本のジムに所属する世界チャンピオンは13人にのぼります。

しかしそのうち世界的な知名度のある世界チャンピオンはごくわずかです。

今はボクシングの認定団体が増えて、世界チャンピオンが量産されている時代なので、世界チャンピオンというだけでは、世界に認められないという奇妙な状況です。

したがって無名の世界チャンピオンではファイトマネーも上がりません。逆にいうと、ラスベガスで人気を得たボクサー同士の戦いでは、世界タイトルマッチでなくても巨額のファイトマネーが与えられます。

一晩で何百億も稼ぐという恐るべき人気ボクサーが存在するのも事実です。

金がすべてではありませんが、そんな別世界に手の届く実力があるのに、行くことができなかった悔しさは推して知るべきです。

もっとも内山選手のように、世界的には無名なのに実力があるというボクサーが最もやっかいです。

有名選手もそんなリスクの高い選手を対戦相手に選びたくはないでしょう。彼らが言う「あんな無名選手相手では稼げない」というのは、手強い相手を避ける時の常套句ですからね。

内山選手の所属ジムが日本国内でのビジネスに固執したきらいもあったことでしょう。そういう意味では、内山選手は不運でした。

■日本のボクシング・ビジネスはいま、岐路を迎えています。

世界チャンピオンの地位が下落する一方、ラスベガスにおいては大金が動く市場があります。

当然、実力のあるボクサーは、大金が稼げるステージを目指すことになります。

奇しくも内山選手と時を同じくして引退表明した三浦隆司選手は、所属ジムの方針もあって早くから海外で試合をすることを志向してきました。

三浦選手の不器用だがKO必至のスタイルは海外でも人気を博し、最後にはラスベガスでメインイベンターに選ばれたほどです。

もし最後の試合に勝っていれば、三浦選手のファイトマネーの桁が一つ上がっていたことでしょう。実に残念です。

三浦選手に続けと、いまは多くの選手がラスベガスで試合をすることを目標にしています。

そして、今年9月9日には「日本ボクシングの最高傑作」といわれるモンスター井上尚弥が、初めて米国進出します。

今は、ユーチューブに試合動画が投稿されるので、国内チャンピオンでも実力者は、海外のボクシングマニアに知られることなります。その中でも、井上尚弥の実力は圧倒的であると話題になっていました。

今回はその人気を買われて海外からのオファーに応える形での進出です。

井上尚弥が海外のステージでどのようなパフォーマンスを見せてくれるのか、楽しみでなりません。

■その井上尚弥選手も、誰にも負けない練習量を誇ることで知られる存在です。

今や、ボクシングといえどもナチュラルに強いというだけでは、トップランクには行けない世界になっています。

昔のように、調子のいい時はすごい実力を発揮するが、ダメな時はあっさり負ける、というような天才型のボクサーでは、トップランクに居続けることはできません。

(興行主も、そんなボクサーは怖くて使えないでしょう)

特にラスベガスでは、トップ選手同士のスリリングな試合を求められますから、そこで生き残るのは、相当の努力が必要です。

日本でも井上尚弥選手ほどの天才が厳しい練習に自らを追い込み、しばしばオーバーワークで試合ができなくなる怪我を負うほどです。(それでも勝つのですが)

そんな井上選手が、拳を怪我した際に、相談にいったのが、内山選手でした。

有数の実力者であると同時に頭がよくて冷静、さらに人格者として知られる内山選手は、さながら日本ボクシング界の精神的支柱のような存在であったようです。

内山選手ほどの実力者が努力を惜しまないのだから、後に続く者がサボっていいわけがありません。

現在の日本ボクシングの興隆に内山高志選手の存在は重要な影響を持っていたと考えます。

■一方、海外でも引退を惜しまれている三浦選手ですが、彼が初めて世界タイトルに挑戦したのが、内山選手の3回目の防衛戦でした。

この試合で三浦選手は、3ラウンド、得意の左ストレートで、内山チャンピオンからダウンを奪います。

しかし態勢を立て直した内山選手に滅多打ちされた三浦選手は8ラウンド終了時点で試合放棄に追い込まれます。

いつも強気の三浦選手が「あのまま続けていたら死んでいた」とコメントしたほどでした。

しかも、その時の内山選手は右拳を負傷して、ほぼ左手一本で戦っている状態でした。全盛期の内山選手は、それ程の凄みがあったのです。

内山選手は、実力があるのに日本国内から出なかった最後のチャンピオンになるのかもしれません。

悔しい思いはあったでしょうに、引退会見で感謝の言葉だけを述べた内山選手は、最後まで王者の風格に満ちていました。

リング上での闘争心は押し殺し、どんな人にでも丁寧に優しく接していたという内山選手は、記者たちからの人気も抜群だったといいます。

内山選手の第二の人生が素晴らしいものになることを祈らずにはいられません。


参考:記憶に刻まれる有数の王者・内山高志 努力で昇華した遅咲きのボクサー人生
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201707300003-spnavi

参考:リングを去る心優しき王者・内山高志。笑ってさよなら、涙はいらない
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/fight/2017/08/02/___split_24/

参考:【ボクシング】荷物番だった内山高志を変身させた「大学1年の夏」
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/fight/2015/07/30/post_433/

参考:内山高志のパンチは「変化」する。強さ、角度、伸びのバリエーション。
http://number.bunshun.jp/articles/-/822420

参考:スーパーフェザー級で戦うということ──内山と三浦、引退
http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2017/08/06/kiji/20170805s00021000122000c.html