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全盛期の藤川球児のストレートは、誰も打てませんでした。顔のあたりに来るボールをプロの打者ががんがん空振りしていました。それだけ軌道が特殊だったのでしょう。ストレートではなく魔球ですな。

そのきっかけとなったのが、清原との因縁だというストーリーが語られています。

清原は、落合の後継者になれた才能


清原和博は、高卒1年目の前半、全盛期だった落合博満が「俺を除くと、現役最高の右打者」と評した天才です。

落合のような柔軟な打撃が売りで、内角を見せられた後の外に逃げる変化球を反対方向へホームランにする能力を持っていました。

1年目の前半を見る限り、落合の後継者は清原しかいないと思えたものです。

ところが、どういうわけか清原は、マッチョ路線を突き進み、格闘家のような筋肉をつけて、打撃の柔軟性を失っていきました。

あれほどの才能が、打撃タイトルをとれなかったのは、残念というよりも謎です。

よく「記録よりも記憶に残る」と評される選手がいます。長嶋茂雄がその代表ですが、彼に憧れた清原も、踏襲したというのでしょうか。

ストレート勝負を強いるキャラクター


清原は、身にまとった「番長キャラ」を打撃にも利用していました。

有望な投手がいると「ストレートで勝負しよう」とマスコミを使って挑発し、それを狙い打ちしていました。

相手に力があればあるだけストレートで勝負しなければならない空気になってしまいます。プロ野球は団体戦であると同時に、個人と個人の勝負を期待される興業です。清原ほどの存在であれば、個人勝負を挑める立場にありました。

佐々木や野茂が、挑発に乗って、ストレート勝負に出て打たれていました。もし、変化球を投げて打ち取られても「勝負を逃げた」ということができます。これは「番長」清原だからこそできる挑発です。

「チンコついとんのか」


逆にいうと、清原に挑発されるということは、一流の投手として認められたということです。

まだ格下だった藤川にフォークで三振に打ち取られた清原は「チンコついとんのか」と言い放ったとされています。それがスポーツ新聞の見出しになるほどでした。

藤川とすれば一流として認められたということで美味しい状況です。しかも彼のストレートは魔球ですから、実はフォークよりも打ちにくい。

すっかり開き直った藤川、それ以降、しばらくはストレートしか投げませんでした。捕手の矢野燿大が「変化球を投げさせるのが怖い」というほど、ストレートの威力が絶対的な時期が続きました。

これからの人生を思うと、記録よりも記憶


藤川を覚醒させたとして評価される清原は、やはり存在感のある選手でした。

過剰なキャラクター付けが、野球選手としての成長の妨げになったといわれることもありますが、生き方はそれぞれが決めること、とやかくは言えません。

少なくとも、プロとして記憶に残る選手であったことは間違いありません。

思えば藤川も、圧倒的な火の玉ストレートの記憶に比べると、記録は平凡です。

これからの人生を考えると、記録よりも記憶に残った方が、プロ野球選手としての経歴を活かせるというものです。

それぞれが身に着けたキャラクターや記憶を武器に生き抜いていってほしいと思います。