スズキ

(2021年4月15日メルマガより)

自動車メーカースズキの鈴木修会長が退任を発表し、会見を開きました。

御年91歳。

「生涯現役」「100歳までやる」と言い続けてきた人です。相談役に退く、とはいいながら、大きな影響力を保ち続けるのでしょう。

しかし、経営の第一線から退くことは間違いありません。

トヨタのCEOでさえ一目を置く、カリスマ経営者の退任です。

一つの時代が終わった。と綺麗にまとめたいところですが、それにしては、スズキも含めて自動車業界全体が、激動のさ中にあるこの時期の退任は、残念なタイミングです。

スズキや、日本の自動車産業は、これからどうなっていくのでしょうか。


世界一の自動車メーカーを驚愕させたアルト


鈴木修氏は、鈴木自動車工業(現在のスズキ)の4代目社長です。同社は、2代目も3代目も、鈴木家の婿養子が社長を務める珍しい会社でしたが、鈴木修氏も、婿養子だそうです。

それはともかく、鈴木修氏が社長に就任した1978年当時、スズキは、売上高300億円程度の中小メーカーに過ぎませんでした。

その会社を40年で、売上高3兆円以上、販売台数で世界11位(2020年度)に押し上げたのだから、その功績は称賛されて余りあります。


鈴木修伝説の始まりは、1979年に発売された初代アルトです。

修氏が陣頭指揮をとり製作された同車は、税制面で有利な商用軽自動車という車種であり、かつ、徹底したコストダウンにより、47万円という破格の販売価格で売り出されました。

修氏によると「タイヤ4本分の利益しかない」薄利の商品だったそうですが、ライバル会社のダイハツの社長が「あの商品は赤字だから続かない」と無視を決め込むのを幸いにして、売りまくりました。

この商品の大ヒットが、日本の軽自動車市場の存在感を一気に押し上げました。

同時に、アルトと、その後発売されたワゴンRの大ヒットが、スズキの自動車メーカーとしての地位を確立させていきました。

一説によると、当時世界一の自動車メーカーGMが、スズキと提携したのも、アルトの設計に驚愕したからだと言われています。


自ら歩いて、販売代理店を開拓


販売面でも、後発のスズキは、大きな販売網を築くことができませんでした。そこで、小さなディーラーや修理工場などにこまめに売り込み、販売代理店を開拓していきました。

スズキのような小さなメーカーは、専門の販売店を抱え込むことが難しい。だから主要な販売先となるのが、全国にある小さな修理工場です。

小さいといえども全国に数多ある修理工場が販売もしてくれるのならば、スズキにとって大きな勢力となります。

もっとも、修理工場は、どのメーカーの車を扱ってもいいので、スズキだけが優遇されるわけではありません。

ここで、発揮されたのが、鈴木氏の徹底した現場主義です。

代理店の開拓においても、社長自ら頻繁に現場に足を運び、実際に話を聞いて、ディーラーや代理店の信頼を獲得していったことが、今に伝わっています。

ことほど左様に、鈴木修氏の方針は、現場に足を運び、現実に即して判断し、行動することでした。


インド市場でナンバーワン企業に


その修氏の特長が、最大限発揮されたのが、インド政府との提携です。

1980年代、経済成長を目指すインドは、低価格な国産車の製造販売を目論んでいました。

そこで、世界中の自動車メーカーをまわって、提携パートナーになってくれる会社を探していました。

しかし、当時のインドというと、社会主義的体制で、国民所得も低く、いかにも儲かりなさそうな市場でしかありませんでした。

世界中の自動車メーカーがまともに取り合わないなか、スズキだけが本気で進出を考えたといいます。

修氏によれば「スズキは弱小企業なんだから、他のメーカーと違うことをしなければならない」ということです。

いわゆる「弱者の戦略」をとらなければならないということで、理屈としては正しいです。

が、政治体制も固まらないインド政府とがっぷり組むというのは、いかにもリスクが高く、普通の経営者なら慎重になるべきところでしょう。

しかし、修氏は、持ち前の行動力で、政府要人と交渉を重ねて彼らの本気度を読み取り、またインドにも足を運んで、かの地の勢いを感じ取りビジネスチャンスがあると判断しました。

修氏が自虐的にいう「勘ピュータ」の発揮です。

インド政府と合弁会社を立ち上げ、得意の低価格車をインドの国民車として量産していきました。

もちろん、国とのビジネスですから、難しいことも多々あります。インド政府との主導権争いはもちろん、国を追い出されそうになったことさえあったと聞いています。

それでも老獪な鈴木修氏は、丁々発止のやりとりで政府高官を抑え込み、2002年にはインド政府から合弁会社の株式を買い取り、子会社化しました。スズキグループは、いまでも、インドで50%以上のシェアを占めています。

この結果をみて、他の大手自動車メーカーが地団太を踏んで悔しがったのは言うまでもありません。

しかし時すでに遅し。インドに続いて、ハンガリーにも進出したスズキは、独自の地域シェアナンバーワン戦略をもって、世界企業の仲間入りを果たしました。


弱者の戦略で、大手企業を手玉に


各企業との提携戦略も独特です。

1981年には、世界トップだったGM(ゼネラルモーターズ)と資本提携しました。その際、「GMは鯨、スズキは蚊。鯨に飲み込まれずに高く舞い上がれる」という名言を残しましたが、2008年には提携を解消。

2009年にはVW(フォルクスワーゲン)と提携。ところがVWがスズキを子会社化する意欲を見せたとして、2015年に解消。

2019年には、トヨタと資本提携し、今に至っています。

大企業と提携と解消を繰り返し、手玉に取る様子は、さながら織田、上杉、北条、徳川、豊臣と臣従先を頻繁に変えて、戦国末期を生き抜いた上田の小国、真田家のようです。

老獪な真田昌幸が、その名を全国にとどろかせたように、鈴木修氏も、したたかな経営者として、世界にその名を響かせています。


ただ、二輪車を軽視したことは、鈴木修氏の失敗だと指摘しておきます。

2000年代まで、スズキの二輪車はそれなりの存在感を持っていましたが、いまや見る影ない姿になってしまい利益が出るか出ないかといった事業になってしまいました。

ホンダの二輪車事業が非常に好調で、四輪車の不調を帳消しにするぐらいの利益を上げていることを思えば、もったいない限りです。


現在、スズキは、販売台数で世界11位の企業グループです。

コロナ禍で売上高は3兆円まで落ちていますが、2019年には4兆円近くまで上がっていました。

販売台数の5割がインドです。売上では3割超がインド。

インドでのシェアが、スズキの存在価値となっています。

国内市場においては、販売台数でトヨタに継ぐ2位。(2020年)

トヨタとの提携は、鈴木修氏が、自身の引退後、トヨタ傘下になることを見越したものだと言われていますが、どうなることでしょうか。

トヨタとすれば、インドでの高シェアは、すこぶる魅力的でしょうから、近い将来、発表がなされるのかもしれません。


EV化の流れに乗り遅れる


このたび、鈴木氏の引退発表で、自動車関連企業の方々から、落胆の声が漏れたという話が聞こえてきています。

いま、自動車関連産業は、激動のさ中にあり、業界の危機感は並々ならぬものがあります。

この危機を乗り越えるためには、鈴木修氏の力が必要だという思惑が、やはり業界にはあったようです。

世界的なCO2削減の機運により、各国は、自動車の完全EV化に舵を切っています。

欧州各国は、おおむね2030年から40年の間には、EV以外の販売を全面禁止。アメリカも州によりますが、似た措置をとろうとしています。

ハイブリッド車も認めない急激なEV化規制は、ガソリン車で強すぎる日本勢を排除する意図が見え見えですが、CO2削減を旗印にされては仕方がありません。

日本国内では、ハイブリッド車は認めるようですが、ただのガソリン車の販売は、2035年には禁止されるといいます。

待ったなし。ガソリン車技術で王国を作り上げたわが日本の自動車産業とすれば、強みの前提を崩されてしまったわけで、また一からのスタートを強いられてしまいます。

とくに軽自動車は分が悪い。

テスラのように、機能とデザインに贅を尽くした高級路線なら、日本企業でも何とかなるかもしれませんが、軽自動車が高級路線を追求するのは、現実的ではありません。

低価格を実現するためには、技術的な成熟が必要であり、軽自動車のEV化にはまだ時間がかかると見られていました。

ところが、GMも出資する中国メーカーが、50万円を切る小型EVを開発し、大ヒットさせました。

走行距離も短く、エアコンもつかないしょぼい車ですが、それでも、この低価格は魅力です。

スズキがかつて初代アルトで社会を驚かせたのは、この割り切りのはず。

これを開発するのは、スズキであってほしかったと思います。


トヨタの傘下で生き残っていくのか


今さら言っても仕方ありませんな。

今のスズキに、EVを設計開発する力はないようです。だとすれば、とれる手段は限られてきます。

アップルのような異業種からの参入組の設計に従って、それを組み立てる生産工場になる。そのうえで、製造技術を蓄積し、いずれは、自社でEVを設計製造するメーカーになる。

あるいは、これからも存続が確実な会社の傘下に入って、生き延びる道を選ぶ。

そう考えると、やはり現実的なのは、トヨタの傘下に入り、グループ会社として、生き延びる道でしょうか。

鈴木修氏の引退は、トヨタ入りへ向けての布石になっていると、私には思えます。

インドでのシェアを土産にできる間に、またインドにEV車を投入しシェアを維持するためにも、早い時期に、決断しなければならなかったのでしょう。

カリスマ鈴木修氏の最後の仕事としては、寂しいと感じるかもしれませんが、生き残るためには、仕方のないことです。

いや、むしろ、生き残ることこそ最重要課題です。何をためらうことがあるのでしょうか。

「仕事が生き甲斐だ。人間は仕事を放棄したら死んでしまう。みなさんも仕事を続けてください。バイバイ」

相変わらず、人を食った言葉で、引退会見を締めくくった鈴木修氏です。

その経営者としての生き様を、最後まで見ていきたいと思います。